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確かにこういった議論は、そもそもとして後知恵の産物ですね。それでもできるだけ史実に誠実でありたいという点は、私も一致するところです。
まずA6Nに絞って議論を進めさせてください。
史実では、A6N開発のリソースはE12Nへ転用されました。逆に言えば、A6はA6Mだけでなんとかなるという見通しがあったのでしょう。そしてA6Nが完成するためには、この認識が変わる必要があります。
「A6を三菱、中島両方に作らせたい」と海軍が思う理由として、私が思いつくのは十二試艦上戦闘機計画要求書案議事摘要に記されている、三菱、中島に対して事前に行われた計画質問に対する両社の回答です。それは
三菱:着速への要求を満たすのであれば、最高速度は250kn程度
中島:着速を無視すれば、最高速度300knも可
といったものでした。つまり三菱は艦上機としての性能を、中島は戦闘機としての性能を重視して回答したように読めます。
史実においては、この相反する性能を海軍が折衷し、1つの計画要求書として提示したわけですが、この折衷ができなかった場合、計画要求書が二つに分かれ、十二試艦戦が二本立てで進んだ可能性があったと思います。つまり、
A6M:史実の零戦と同じ、又はより主翼が大きい(=大航続力・低着速)の機体
A6N:300knの達成を求められた、主翼が小さい機体
といったものです。
A6Nが形になるとするならば、それは海軍が2通の計画要求書を作成し、三菱と中島にそれぞれ一社特命で発注した時ではないでしょうか。
そのA6Nは、キ44又はBf109のように主翼の小さい、史実のA6Mとは似ても似つかない機体になる、そのように考えます。
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