音更(おとふけ)飛行場

投稿者:くろねこ 投稿日:2001/01/14(Sun) 17:34:51

道内初の民間飛行場で、道東に位置する十勝国音更村に存在した。
飛行場設置の目的は民間人による北海道の防空で、北海道義勇
空防団(十勝の青年団有志を中心に結成/のち北海道飛行協会に改称)
が自発的に設置、管理していた。
飛行場は音更神社の南高台にあった。もともとは雑木林であったが、
木を伐採した上で株を除去し、幅20メートル、長さ130メートル程度の
滑走地帯を確保していた。滑走地帯は黒土で、人の足によって踏み
固められていた。
同飛行場は大正14年(1925年)5月13日に開場し、永田重治の
操縦するアブロ式504K複葉機によって「飛び初め式」が行われた。
開場当時の格納庫は天幕式であったが、1年以内に木造のものが
建設された。開場後は、興行的な飛行を行う拠点として主に
利用された。
なお同飛行場では、のちに北海タイムスの操縦士となる上出松太郎が
操縦練習を行っている。