盾津飛行場

投稿者:ごまめ 投稿日:2000/12/11(Mon) 02:22:17

調べてきたのでご報告いたします。
昭和8年12月8日に地鎮祭が行われ昭和9年2月起工、同年9月完成。
大阪防空飛行場として民間団体によって建設され、完成と同時に献納され大阪陸軍飛行場となる。(地元では盾津飛行場と呼ばれていた)
整備状況は草原に所々砂利を敷いた程度で地盤も弱かった為戦後すぐに廃止されています。
後これは飛行場には関係ありませんが、昭和15年1月には西隣に大阪練兵所が造られ(城東練兵場が大阪砲兵工廠拡張に伴い移転したもの)ています。
戦争中は先の理由(整備状況)からもっぱら訓練用として使われ直接戦闘に関与した記録は残っていないそうです。
また、末期には海軍に移管された、格納庫で飛行機を組み立てていた、等の記述もありました(詳細は不明)
所在地は当時の盾津町(現在東大阪市)で、現在はトラックターミナル等になっており盾津中学校の辺りに格納庫があったそうです。 (盾津中学校内に記念碑があるそうです)
なお、この場所に飛行場が作られることになった理由は大阪の工場の煤煙を避けるためだったそうです。
およそこんな所です。
名称からして松下飛行機盾津工場と関係有る記述が見つかるかな?と思ったのですが有りませんでした。場所も少し離れているようですし。

他の大阪の飛行場や詳細について調査を続行する予定です、さらに気長にお待ちください(笑)(現地調査行きたいのですが・・・)

慌てて書いたので文章が全然まとまってないです、すみません。 東大阪市史、府立中之島図書館に有ったボロボロの本(タイトルが読めませんでした)参照です。