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96陸攻の増加試作機には通常の双発爆撃機にみられるような機首窓と銃座が装備されている機体があります。こちらはなぜ採用されなかったのでしょう? |
- 私見ですが96陸攻登場時は戦闘機無用論の全盛期でした。抵抗と重量を増してまで、そのような物が必要とは思えないと言うのが当時の日本海軍の風潮だったのでは?
- あれは防御より爆撃手の位置の問題なのでは?
職場なので、これまた詳しくは書けませんですが...
これは、用兵者の間でも激論になったはずで、要するに偵察員(この
場合は航法作業とか爆撃照準かな)の観点だかなにかをどう評価するか、
一定の見識がなかったような、そんなことが原因だったのだと思いま
す。
で、たしか「中攻」には、岡村基春(海兵50)の兄であるところの、岡
村長徳(海兵45、ガダルカナルに米軍が上陸してきたときの設営隊長。
若いころの奇行がたたって、早く予備役にまわされた。この当時は、
まだ現役の飛行将校)の意見が通って(反論する人がいなくて)ああな
った旨のことが書いてあった気がします。
今泉 淳