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38 空技廠の実験部隊と横須賀航空隊はどう違うのでしょう。同じ場所で同じ搭乗員が乗っている様に思えます。また空技廠は独自の飛行機を持たなかったとの話も聞きました。どのような組織分けになっていたのでしょう?

  1. 空技廠というのは、本来は基礎技術(材料など)を研究開発する機関です。ようは研究所なんですけど、戦争後期になってくると研究どこではなくってます(もちろん航空機の改造、改装に追われながらも研究してました)


  2. 空技廠の中に研究所があるのです。第一航空研究所、とか。よくわからないのは空技廠飛行実験部が横須賀航空隊に吸収されて、横空審査部になってからの機体に(例えば烈風)例の「コA7−3」等の空技廠のナンバーが付いていること等、はっきりしないことです。


  3. 飛行実験部と横空の違いは、前者が純粋に新機材の飛行機としての性能を確認するのが任務であるのに対して後者はそれが実戦に適した物であるのかを評価するのが任務、というような差では。後者は陸軍の戸山学校のように保守的で往々にして新しい物を認めない傾向があって、例えば零戦に関しても後者は失格の評価を出していたのに対して前者は「局戦としてはともかく艦戦としてはどうか?」と多少の留保をつけながらも積極的に評価しています。もし横空だけの評価だったら一式戦と同じ経過をたどったかも。


  4. 横空の審査部になった後も、飛行指揮所も別々だったはずですね。横空
    といっても、「同じ場所」というわけでは必ずしもない一つの現れです。
    たしか、「髭の羽切」の羽切飛曹長(当時は少尉か中尉になっていたかな?
    )が「審査部の大尉に殴られた」って話に、上記のようなことが書いてあっ
    たと思います(羽切氏の上司は66期の塚本大尉、殴ったのは同期の山本重
    久大尉だったと記憶します)。

    今泉 淳


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