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213 FW190Aは、途中の型から胴体側の主車輪カバーが省略(?)されて、D型もそのままですが、Ta152では復活しています。これは何故なのでしょうか?空力的に洗練させたいのであれば、D型へと高性能化した時点で再装備されてもよさそうだと思いますし、元々不要だったのだと見なされた部分であるのなら、Ta152で再び採用された理由も分かりません。この理由、是非教えて下さい。

  1. D型はA型の機首を液冷にすげ替えたタイプで胴体/主翼はA型後期そのままの筈です。対してTa152では胴体/主翼共に大幅に再設計していますから、それで空力的洗練の意味で主車輪カバーが復活したのでは?


  2. 車輪カバーは中央パイロンに爆弾を下げるとき邪魔なので取ってしまったと聞きます。A型やF型なら低高度の対地攻撃が主任務となったので…と説明できるのですが、D型でも外されたままというのはちょっと解せませんね。生産を容易にするためとか?(ささき)


  3. D型は液冷フォッケの中ではB、C型に対して簡易型だからではないでしょうか?


  4. 中央パイロンに爆弾で「邪魔」なら、必須とも言える増槽装備でも「邪魔」だったのでは?/SUDO


  5. 初期の引き込み脚の機体というのは主脚カバーなしの場合が多いように思います。それが後期の機体になると空力的洗練を要求されるのか、カバー付きが多くなってきます。D-9の場合は機体はA-8の改造なのでそれを引き継いでいたのが、Ta152H-1では基本的に胴体は新造なので空力的洗練を考えてカバーを付けたのではないかと思います。スピットなんかだと、脚はFw-190と違って外側引き込みなのにカバーなしでしたが、機体を大幅に改設計したグリフォン搭載のMk21からカバーがついていますし(EOS)


  6. (質問者です)写真を見るかぎりではC型にも主車輪カバーは装備されていません。C型は胴体下にラジエータがあるので、その位置に爆弾及び増槽は装着出来ず、従って車輪カバーも邪魔になる事はない筈なのですが・・・


  7. やはりD−9はA型後期の胴体流用説を押したいですね。(Ta152は全面改設計って事で・・・)


  8. 考えてみたらメッサーもK型からカバー復活だな。時速四〇〇マイルの壁に何かあるのか?


  9. A型でカバーが外されたのは、ささきさんたちが書かれたように胴体下面に爆弾や増槽を吊り下げるのに邪魔なためのようです。Fw190はこれらを搭載するときにETC501というラックを装着します。カバーは邪魔なので撤去、車輪の露出部分を減らす為に主脚側についたカバーを面積の広い物に交換、排気でタイヤを焼くのを防ぐために車輪カバーのあった位置に小型の防炎板を取り付けます。


  10. D型では、試作1号機のV53に一時カバーが付けられていましたが生産型では見られません。おそらく理由はA型と同じでしょう。Ta152H-1で復活したのは、トレッド間隔がFw190の3.5mから3.95mに広がったために主脚収容部も間隔が開いたためでした(EOS)



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