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894 日本機の機内塗装色で青竹色というのがありますが、あんな色で塗ったらまぶしくってしょうがないと思うんですけど。ドイツや英米機のプラモの説明書ではわりとまともな色のようですが、あの色に特別意味があったんでしょうか?
わからんちん

  1. ハワイだったか、天文台のどこかの鉄骨が青竹色でした。
    (TVで見たんですけど)ちょっと感動しました。
    鍛鋼品だったか溶接加工品だったか、何らかの加工品の
    防錆塗料が青竹色だったはずです。ああ、誰か知りませんか。
    3番爆弾

  2. いまいち自信がありませんが、
    メタリックブルーを塗装しているんじゃなくて、
    青い防錆塗装を必要量(薄く)塗っているので、
    あの色になっているのだと思います。
    どんべ

  3.  そもそも、「青竹」と言うのは、「色の名前」ではなく、「防錆塗料の名称」ではありませんでした?。つまり、青でなくても黄色でも赤でも、その塗料が「青竹」ならば「青竹」ということになるのでは。
    しいま

  4. 現在もロシア軍用機の機内色はブルーグリーンが基本だったと思います。
    ささき

  5.  機体内部色については、今まで色々な説が語られて、しかも、新事実が発見されても、旧い出版物が訂正されずに流通している為に少しも誤解が解けない上に、模型雑誌の作例モデラーは真剣に資料を探索する人は皆無に近い有り様なので、余計に間違いが訂正されない傾向にあります。また、総じてプラモの説明書は信頼を置けるものではありません。
     さて、青竹色ですが、透明の青色塗料で、機体内部(脚収納部などには塗らない)に塗られ、透明塗料の為に下地が透けて結果的にメタリックブルーに見える塗料のことを指すとされていますが、確かに存在するこれらの透明青色塗料を「青竹色」と呼んだかどうかは定かではありません。
     また、操縦席内部色と機体内部色は異なり、操縦席内部色は各社それぞれに色調が異なりますが、大東亜戦争中は黄緑色とそのバリエーション(川崎機の黄土色?も含む)であったと見て良いと思います。黄緑色系の操縦席内部色は計器板にも塗られており、「青竹色でまぶしい」というようなことはあり得ません。
     ただ、月光など多発機に例がありますが、操縦席の内部にかなりの範囲で青竹色塗装部分が存在する機体もあり、操縦席内部にまったく青竹色が無かったという訳でもないようです。
    BUN

  6. ありがとうございます。
    「世界の傑作機」の月光の分を持っているのを思い出して、見てみました。
    復元された機体は確かにBUNさんのおっしゃる通りになってますね。
    プラモデルの月刊誌スケールアビエーションの四式戦疾風特集号で、コックピットを見事に青竹塗装でブワァァッと吹いているのがありました。裏表紙のハセガワ製作所の広告もシートまで全面ブルーメタリックでした。これはいくらなんでもまぶしいジャンと思った次第であります。
    そうですか、あれは考証がアバウトすぎるわけですね。

    ところで更なる疑惑がわいてきたんですが、そもそもアルミやジュラルミンに防錆塗装を施す意味があるんですか? 汚れ止め? キズ予防?
    つまらん質問ですいません。
    わからんちん

  7. アルミは酸化しますから、防錆処理は必要でしょう。ただ、末期には省略されています。ただ、あの塗装が防錆が主目的だったかどうかはちょっと自信が無くて、何か組み立て、あるいは整備上のメリットがあったのか、等と考えたりしますが、未だ確証は得られません。青竹色と呼ばれたのかもしれない青色透明塗料を省略した零戦は存在しますが、そうした末期の零戦でさえ風防内部の胴体上面は黒色に丁寧に塗られているのですから、青竹色というのはそれほど機能を期待された塗料では無かったのでしょう。
    BUN

  8. ロンドン帝国戦争博物館の零戦52型というのを見てきたのですが、写真集などでよく見られる機体なのですが、写真集なんかではめってに見られないところで、主輪タイヤに18年−6月製と書いてありました。タイヤを取り替えた可能性もないとはいえないけれど、52型としてはかなり早い時期の機体のようです。けれど、機体内部は無塗装なのでした。


  9. 例の英国帝国戦争博物館の零戦52型(の胴体だけ)というのを見てきたのですが、写真集などでは見られないところで、主輪タイヤに「昭和18年−9月製」と浮き出しになっているのが印象的でした。52型としてはかなり早い時期の製品のようですが、機体内部はまばゆいばかりの無塗装なのでした。(タイヤを取り替えた可能性もあるけれど)



  10. ↑すみません。同じようなのが並んじゃったけど、最初のは6月製というのが間違いということね。


  11. 例の英国帝国戦争博物館の零戦52型(の胴体だけ)というのを見てきたのですが、写真集などでは見られないところで、主輪タイヤに「昭和18年−9月製」と浮き出しになっているのが印象的でした。52型としてはかなり早い時期の製品のようですが、機体内部はまばゆいばかりの無塗装なのでした。(タイヤを取り替えた可能性もあるけれど)



  12. ↑あー、やはり6月製でした。したがって52型誕生以前の古タイヤだったので、機体の製造年月日とは関係なかったのでした。381空の零戦の配備状況を調べても、18年終わり以降の製造期のような気がします。いずれにせよ、19年頃には零戦の青竹色は廃止されていたようです。



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