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レシプロの最後を飾る3500馬力級エンジンへの換装についておたずねいたします。 ロッキードC-69コンステレーションのライトR-3350-35サイクロン2,200馬力から、C-121G スーパー・コンステレーションのR-3350-91ターボ・コンパウンド3,500馬力へ換装したのはよく理解できるのですが、プラット&ホイットニーに縁のあったダグラスが、DC-6のR-2800ダブル・ワスプから、DC-7でライトR-3350ターボ・コンパウンドに換装したり、これとは逆に、本家ボーイングB-29がライトR-3350から、B-50でプラット&ホイットニーR-4360ワスプ・メィジャーに換装した理由がよくわかりません。リノならいざしらず、高出力のレシプロ・エンジンの換装はそんなに簡単なものではないように思っております。なにとぞわかりやすくご教授のほどお願い申しあげます。 少年タイフーン |
- http://home.att.net/~jbaugher2/b50_1.html
によれば、「B-29 はもともと馬力に対し重量過大の傾向があったため、大馬力エンジンは喉から手が出るほど欲しかった」とあります。
旅客機については、戦後の大衆航空時代に伴いエアライン間の競争が激化し、客席数増加、内装の豪華化、暖かい食事や飲物などサービス装備の充実などにより重量が増加、パワーアップは至急命題になっていたのではないかと推察します。
ささき
- 早速のご回答有り難うございます。両機ともエンジンの出力アップが必要だったことはよく理解できるのですが、どうして、同じ会社のエンジンに換装しなかったのか不思議なのです。
ダグラスDC-7の場合はともかく、B-29の場合は、ターボ・コンパウンドのライトR-3350に換装したほうが、あのややこしいP&W R-4360に換装するよりも、よっぽど楽だったように想像します。もしかしたら、B-36用に試作されたテスト・ベットの機体を流用したからでしょうか?どうぞ、この素朴な疑問をご教授いただきたくお願い申し上げます。
少年タイフーン
- うーん、その辺には色々と事情がありそうで詳しいことはよくわからないです。
http://home.att.net/~jbaugher2/b29_7.html
を読むと B-50 試作機の飛行日時はわからないのですが、量産発注が 1945 年 7 月とありますからその数ヶ月~半年くらい前だろうと思われます。この時点ではまだ、技術的に冒険の多いターボ・コンパウンドの実用性に不安があったのでは?C-121G の初飛行は 1954 年ですよね。
ささき
- ミリタリーエアクラフト別冊「第二次大戦のアメリカ・イギリス軍試作・計画機」(デルタ出版)のプラット・アンド・ホイットニーXB-44の解説にはこうあります。
(B-29に、自社のワスプ・メイジャーを装備すれば性能が大幅に向上するとして、)プラット&ホイットニー社は、1943年9月に陸軍航空隊に提案をおこなった。
そして、翌1944年7月にはB-29一機のエンジンをこれに換装する契約を結んでいる。
これは、エンジン・ナセルと主翼の一部を完全に設計し直す作業が伴ったが、1945年5月に換装は完了し、飛行の結果は631km/hの速度を出した。(中略)戦後この機体をベースにB-50が開発され(た)。
ささきさんの>3を読むと、「戦後…」などの記事はあれあれといった感じになりますが、B-50がワスプ・メイジャーなのは、プラット&ホイットニーが開発したからという基本線に間違いはないのではと思います。
カンタニャック
- 私も詳しいことは判らないのですが、やはり時期的な問題ではないのでしょうか?
R3350「ターボ・コンバウンド」が試作されたのは1949年(?)であった
のに対して、B50が計画されたのは1944年。であればターボ・コンパウンド
を搭載するのはちょっと無理がある気がします。
一応、結果の出ているR4360にしたのでは無いでしょうか?
tackow