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1277 第二次大戦時は本当に初等、中等、高等の3種類もの練習機が必要だったのでしょうか?
現在の初等練習機のスペックは大戦期の戦闘機にそっくりなので、練習機は複葉機1種で間に合ったのではないでしょうか?
極端な話、戦闘機で練習するのは無理だったのでしょうか?
それとも、現在は当時の3種類の練習機レベルの練習はシミュレーターでやっているのでしょうか?
ms

  1. 初等・中等・高等練習機の違いは可動部分の違いです。すなわちフラップ、引き込み脚、可変ピッチプロペラといった、第二次大戦当時のハイテク機構の有無と深い関係があります。
    固定ピッチプロペラであれば回転計だけを見てスロットルのみでエンジン出力を調整すれば良いのですが、可変ピッチでは回転計とブースト計を見ながらスロットルとピッチレバーを操作する必要があり煩雑なのです。また引き込み脚は操作忘れの対象になりやすく、また「不完全引き込み時」や「引き出し失敗時」の操作も覚える必要があり、意外と煩雑なのです。

    >練習機は複葉機1種で間に合ったのではないでしょうか?
    >極端な話、戦闘機で練習するのは無理だったのでしょうか?
    フラップ無し・固定ピッチプロペラ・固定脚の複葉機からいきなり 1000hp 級のフラップ・可変ピッチプロペラ・引き込み脚つきの機体に移るのは少々不安だと思います。ピッチレバー操作ミスでエンジン損傷とか、脚の出し忘れで胴体着陸して廃機という事態が続出しそうに思います。
    今の空軍の教習過程がどうなっているのかは知りませんが、アメリカの民間パイロット学校ではまず固定ピッチ・固定脚の機体(さすがにフラップは付いてます)で免許を取り、しかるのちに可変ピッチ・引き込み脚の「コンプレックス・エアクラフト」に移る場合が多いです。
    ささき

  2. 日本海軍では、大戦半ばから九三中練が初等、中等兼用として使われていたはずです。
    NX

  3. 現在は可変ピッチプロペラでの訓練が一般的です。(でもないかな。)航空自衛隊のT−3、海上自衛隊のT−5ともに可変ピッチプロペラです。ちなみにT−3の場合オーバーブースト、アンダーブーストの危険性を持っているはずですが、T−5についてはターボプロップ化されたのでその心配はありません。(オーバートルク、オーバーテンプはあるかもね。)シミュレーターもその航空機に対してあるので固定ピッチからというのは無いと思いますよ。可変ピッチに慣れてしまえば固定ピッチは難しいレベルにある航空機ですね。
    ダンガ−j

  4.  むしろ「複葉機がいらなかった」と思われる事例があります。
     満州にあった旧陸軍の航空士官学校の第58期生(昭和19年10月訓練開始)は、いきなり全金属性低翼単葉機である九九式高等練習機(四式戦をF-15だとするとMB339ぐらいの性能かな?)で飛行訓練を行っていますが、特に事故が多かったとか訓練が難航したとかいうことはなかったそうです。59期以降もこの方針を続ける予定はあったそうですが、九九高練は最低限必要な分を残して特攻に回されることになってしまい、初等訓練には使えなくなり、代わりにキ86複葉練習機(ドイツのBu131ユンクマンのライセンス生産)が導入されています。
    Schump

  5. ↑ボケこきました。航空士官学校の訓練過程の満州移転は59期からで、58期までは現入間基地で訓練していました。
    Schump

  6. 3>可変ピッチに慣れてしまえば固定ピッチは難しいレベルにある航空機ですね。
    4>むしろ「複葉機がいらなかった」と思われる事例があります。
     ふむふむ…もしかすると問題は生徒の方ではなく、教官のほうにあったのかも知れませんね。自分達が複葉機で育ったものだから、「初心者=複葉機」という固定観念から抜けられなかったのかも知れません。大戦間期のアメリカではPT(初頭練習機)の更に前段階として飛べない地上滑走練習機「ペンギン」なんて物まで使ってました。ここまで行くと少々過保護気味ですね。今時そんなものを使っている空軍はおろか、民間の飛行学校だってありません(^^;)
     ただ、いきなり「戦闘機」というのはちょっと怖いと思います。たとえ 1920 年代の固定脚・固定ピッチペラの非力な複葉戦闘機でも、舵の利きは鋭く下手な操作をすると容易にスピンに入った筈ですから。97戦や一式戦は「操縦が容易で練習機にも使われた」と言われますが、それは直線飛行・水平旋回などの基本操作を覚えてからの話であって、やはりその前段階として安定の良い練習機で操縦のイロハを学ぶ必要はあったと思います。
    ささき

  7. 消耗の激しい練習機には複葉機の価格面での調達のし易さが魅力だったのだと思います。
    BUN

  8. JALの自社養成や航大の訓練でも、可変ピッチ・引っ込み脚で300馬力級のボナンザが、最初から使われています。自費訓練のパイロットが固定ピッチ・固定脚の機体で訓練しているのはもっと切実な理由、そう・・ボナンザのような「高級機」は、レンタル料がとても高いのです(TT)

    ・・・などという話はさて置き、大戦時の飛行機が大馬力の「尾輪式」だったという事も、練習機による段階的な訓練を必要とした、大きな要因ではなかったかと思います。

    尾輪式と前輪式の最も大きな違いは、主輪と機体重心との位置関係にあり、これが離着陸の難易度に大きく影響しています。現代ではほとんどの飛行機が前輪式になっていますが、前輪式の飛行機は重心が主輪よりも前にありますので、離着陸の滑走中にヘディング(機首の向き)が少々左右にずれても、速度による慣性力がそのずれを修正して、ヘディングを元に戻そうとする復元力を持っているのです。

    それに対して尾輪式は、重心位置が主輪よりも後ろにありますので、ヘディングが完璧に真っ正面を向いていない限り、つまり機首がほんの少しどちらかに振れただけでも、慣性力によってそのずれが増幅されてしまい、機体をあさっての方角へ素っ飛ばしたり、自転させようとする力が働きます。これが尾輪式の離着陸を難しくしている最大の原因で、そこに前方視界の悪さやエレベーター操作の煩雑さが加わり、尾輪式飛行機の扱いは、前輪式に比べてかなり敏感な操作が要求されます。大戦中の記録にも、「技量が未熟」なパイロットが着陸で回されたり、脚を折ったりという話が良く出てきますが、「その飛行機を飛ばせるレベルにはまだ早かった」と言ったほうが、状態をより正確に表している気がします。

    プロペラ機の宿命として、運動中の機体には常に左右不均衡な力(※)が働き、馬力が大きくなってくれば、その影響もまた大きくなります。技量不充分なまま、いきなり大馬力の尾輪式に乗るのは、非常に危険です。練習機の使用には確かに経済的側面もあると思いますので、初等訓練に中練を使う等のある程度のスキップも可能だとは思いますが、出来る事なら順当にステップを踏んだ訓練の方が望ましいと思います。

    (※左右不均衡をトルクやプロペラ後流の一言で片付けている記述も多いようですが、プロペラ機にはその時々の状態によって、4種類の力が複合的に働きます。過去ログに何度か書いたので、詳細は省略^^;)
    MITTU

  9. 経済面について補足(蛇足かも?・・^^;)

    例えば仮に、大戦前に訓練を受けたパイロットが、初練から順番に訓練を重ねて300時間で第一線の実用機までたどり着き、さらに実用機で200時間の訓練を積んで初陣を迎えたとしましょう。
    対して末期の日本軍では、一刻も早くパイロットを養成する為に、間を省略して100時間で実用機まで行ったとします。もちろんこのままでは、とても実戦に耐えられる技量ではありませんが、ともかく「効率良く」戦闘機乗りが出来上がりました。

    しかし、このパイロットを大戦前のレベルまで訓練してから実戦に出そうとするとどうなるか。残りの400時間のすべてを実用機でやろうとするなら、訓練部隊の隅々にまで価格が高くて燃料消費の多い実用機を配備し、その為の整備員も用意し、補給も行わなくてはなりません。末期の日本軍にとって、到底現実的な方法ではありませんし、意図するところでもなかったでしょう。

    つまり、日本軍が大戦半ばから行った訓練課程のスキップには、「技量未熟なままでも実戦に出す」という大前提があるように思います。深刻なパイロット不足が生んだ、悲しい選択だったかもしれません。
    MITTU


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