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1365 第二次大戦中の日本軍機の開発期間は、おしなべて他国に比べると長いと思いような気がするのですが、どうなんでしょう?
戦時にのんびりしていたわけでもないと思うので、何か原因がありそうに思うのですが。
堀越二郎氏が過労でぶっ倒れたのは、有名な話ですが個人的には技術者個々の問題と言うより、開発マネージメント自体に
致命的な欠陥があったのではなどと勘ぐっているのですが・・・。
一機種開発するあたりに割り当てられる技術者のマンパワー(頭数?)なども、欧米と比べるとどんなもんだったのでしょうか。
どなたか資料をお持ちでないでしょうか?
(ちなみに、戦前の日本の民間企業の経営手法は前時代的で、その当時の水準から見てもかなり非効率的だったという話を聞きます)

トラFD

  1. 質問内容を整理していただけると書き込みしやすのですが、一般に日本の新型軍用機の開発は搭載エンジンの量産化時期に左右されていると言えます。機体開発の時間は他国と比較してそれ程長いとは言えません。昭和十六年末に試作発注された疾風は十九年には量産に入っていますし、彩雲、紫電も同様に部隊配備が始まっていますので格別長いということは無いでしょう。搭載エンジンを巡っての逡巡があった烈風の開発が遅延したのは御存知の通りです。
    試作発注はたとえば海軍では実用機試製計画によって数年単位で管理されており、戦時中の試作機にはこの計画による「実計番号」と呼ばれるナンバーが振られています。銀河のY20といった番号がそれに当たります。ですから戦時ではあるにしても、全く現実を度外視した試作発注が行われていた訳ではありません。

    次に、マンパワーの問題ですが、三菱の場合など、どの機に何人という数字が算出しにくい体制で設計が行われていますので、一概には言えません。何か参考になる数字を探すとすれば、零戦五二型丙の設計に大しては29人の技術者が横須賀に出張して2ヶ月程で改造設計を終了しています。
    BUN

  2. 具体的には、どのような例で開発期間が長いと思われたのでしょうか?
    昭和19〜20年あたりの開発スピードなんかは、ちょっと常軌を逸したスピードだと思うのですが
    (例:秋水とか、「ネ」シリーズエンジンの開発スピードとか)
    F6Fでさえ零戦の登場によって開発されたように言われてますが、
    実際は、零戦出現の以前に発注されていた機体です。
    英国なんか最後までスピットだし。

    3号電探

  3. 開発期間については似たような質問が過去にあったと思いますが?
    3番爆弾

  4. 問題提起の趣旨が曖昧で申し訳ありませんでした。
    開発と一概にいっても、在来機の改良かや開発期間が非戦時にかかっているか否かである程度変わるようで、期間の長短では一概に言えない部分があることは承知しております。
    日本機の開発についても、すべての機種について開発が長期にわたっているというつもりはなく、ただ開発が遅延した例が多いのでは・・・ということで。
    具体的には、
    雷電の昭和15年開発要求で正式採用が昭和19年
    烈風の昭和17年開発要求で未完
    月光の昭和13年開発要求で昭和17年制式採用
    流星の昭和16年開発要求で昭和20年制式採用
    彗星の昭和13年開発要求で昭和18年12月制式採用
    天山の昭和14年開発要求で昭和18年正式採用
    銀河の昭和15年開発要求で昭和19年10月制式採用
    キ83の昭和16年開発要求で試作4機のみ
    キ87の昭和17年開発要求で生産中止
    (ちなみに開発の内示は開発要求前に出ているはずです)

    まあ四式重爆や四式戦などのように比較的順調な例もありすべて遅いとはいいませんが、戦時の開発期間が4年以上というのが普通かどうかわかりませんがは、欧米機にはあまりないように思うのですが・・・。F6Fは開発に4年ほどかかっているようですが、F8Fは1942年に試作を開始して1944年12月には最初の量産型が完成しています。F4Uの開発が遅延したことは周知の事実ですが、P47やP51も3年程度で最初の量産型が飛んでいます。どうもアメリカ機は初飛行から量産型のロールアウトが異常に短く、いけいけドンドンで作っているのに対し、日本機では初飛行から細かい改修を延々と続けて遅延しているような印象を受けます。

    大戦末期に負けがこんで、突貫工事で開発期間がえらく短くなるのはHe162のウルトラCが良い例で同列には語れないと思います。日本のジェット、ロケットも実はドイツからの(設計図)貰い物ですからやはり同列には語れないのではないでしょうか(物まね上手という意味では評価できますが)。ドイツ機との比較も面白いとはおもうのですが・・・とりあえずこの辺で。

    トラFD

  5. 雷電の19年10月制式採用は、同年10〜11月にかけて実に多機種が一括採用されており、単に事務的にそう処理した方が良い事情があっただけと思います。同時に雷電31型までが制式採用とされています。雷電そのものは、これよりはるかに以前から実用機だったのです。他の機種についても同じようなことが言えます。単に制式採用の日付だけで言うと、零戦32型などは18年1月になってしまうのですから。これは、実戦部隊に送り出されてから半年程も後のことです。制式採用の日付は開発期間とは関係ないと思われた方が良いようです。


  6. 堀越技師が「倒れた」とされる件は、決して突発的に倒れたのではなく、曾根技師と相前後して、スケジュールを見計らった上で、持病の療養に入ったのではないでしょうか。新艦戦に見合う発動機が開発されるまでの時間の猶予を、健康管理に使った、という理解でいるのですが。


  7. 確かに・・・雷電の実戦配備は18年秋のようですね。
    ただ、初飛行した後でも戦力化するのにえらく手間取ったり、配備といっても
    試験的な意味合いが強い物もあるようだったで、とりあえず本格的に配備開始
    がされているだろう時期として制式化した時期をあげました。
    機種事の個別の問題といってしまえばそれまでだとは思いますが。

    トラFD

  8. ややゴミレス

    航空機データベースのアメリカ陸軍戦闘機の欄を見てると、アメリカ陸軍の試作指示は日本に比べて決して効率的とは言えないような気がするんですけど、これは気のせいでしょうか?
    弥空

  9. >8. 私もデータベース作りながらそう思いました。「アメリカ人の合理主義にくらべ日本の軍部は無定見に試作発注を乱発し…」というのは偏見だと思います。
    P-51 は設計開始−初号機完成まで 120 日弱という記録的速度で開発されていますが、米空軍がこの計画にほとんど興味を示さず横からゴチャゴチャ言わなかったのが成功の秘訣というのは皮肉な話ですね。試作機にもほとんど不具合がなく奇蹟的スケジュールで量産に漕ぎ着けた P-51 ですが、それでも開発開始から量産一号機まで丸一年かかっています。
    1940 4/10 NA-73 計画開始
    1940 5/23 英国から制式に発注
    1940 9/09 試作一号機完成(エンジン到着待ち)
    1940 9/20 米陸軍より XP-51 の番号指定
    1940 10/26 一号機初飛行
    1940 12/?? 英国から Mustang-I 300 機の発注
    1941 4/23 Mustang-I 量産一号機ロールアウト


    ささき

  10. 日本海軍機の開発は、特に開戦後に主力機となる世代において、むしろ余裕が無さ過ぎて、たいへんなことになってしまったような気がします。多少の失敗作も出ることを考えれば、合理性より冗長性に流れるべきなのだと思うのですが、そのために必要な技術者の絶対数があったのはアメリカだけ(あとはドイツ)くらいだったのではないでしょうか。


  11.  片さんがおっしゃるように、制式化の時期と機体の完成、配備時期とは全く関連がありません。零戦二二甲型などは17年春にはラバウルで大量に使用されているにも関わらず、制式化は19年10月です。
     また、計画要求が出た時点で設計作業が開始される訳ではありません。そして本来ならそこから設計作業が開始されるはずである試作発注が出た時点でさえ、直ぐに設計に入ったか、というと実はそうでもなく、官民の間で研究が続けられて具体的な設計に入らない場合もあり、これは個々の機体で異なります。その機体そのものの開発期間とはこのように一概に長い、短いとは言い難いものです。
    BUN

  12. 二二甲型の配備は18年春ですね。
    BUN


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