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1530 旧日本軍には個人の固有機というのはあったのでしょうか?
海軍と陸軍でまた外地と本土防空、陸上基地と艦上、時期での違いがあるとはおもいますが・・・
ROCKS

  1. 基本的には装備機数の二倍程度の搭乗員が用意されるのが理想でしたので個人の「愛機」は原則的には存在しないことになっていますが、長機標識を施した指揮官機等はほぼ専用機となります。また「よく乗る」機体というものも発生したようです。ですから個人の「愛機」が発生しやすい部隊、状況とそうでない場合がある、ということでしょう。
    BUN

  2. よく尾翼とかに個人の撃墜マークを書き込むというのを聞きますが
    実際に行われてたんでしょうか?
    taka

  3. 撃墜マークを描くケースは二種類有り、固定した「愛機」に個人の戦果を書き込む場合と、その「機体」で挙げた功績を搭乗員に関わらず記入する場合とがあります。後者は海軍航空隊に多く、初期の十二空や、三空の零戦の撃墜マークは個人の戦果とは無関係です。海軍の撃墜マークは個人戦果を記入する場合でも「部隊全体の士気鼓舞」を狙って特別に描かれる場合が多く、個人戦果競争を推奨する訳ではありません。
    更に俗に「パーソナルマーク」と呼ばれる機体固有のマーキングや書き込まれた愛称も、実際にはその搭乗員個人と結びつかず、部隊装備機それぞれの機体ごとの「愛称」である場合もありますから写真などを見るときは注意する必要があります。
    BUN

  4. てことはマーキング図などに載っている○○少尉機などとあるのは
    隊長機以外は機上した可能性がある程度に捉えたほうが良いわけですね?
    ベトナム戦でのUSAFとUSNのスコアマークの考え方違いと似ているので
    海軍機の運用は同じような考え方なのでですね?その当時の米海軍も
    そうですか?

    ROCKS

  5. ミッドウェイ海戦の際、ヨークタウンのパイロットが自分の乗機が修理中で出撃できなかった、
    みたいな事が書いてあるので海戦初頭の米海軍は恐らく固有の搭乗機が割り当てられていると
    思います。大戦中期以降は…、誰か詳しい人お願いします。
    大塚好古

  6. 海戦初頭→開戦初頭ね。大戦初期と言ったほうがいいかな。
    以上、5の訂正でした。
    大塚好古

  7. 日本の母艦機も搭乗員の固定した機が多いですよ。必ずしも固定していたとは言い切れませんが個人名を書き込んだ機体も多く見られます。母艦の搭載機と搭乗員の数との関係なのでしょう。
    BUN

  8. 有難うございました。
    ROCKS

  9. 本件に関しては、自分が読んだ限りの文献に依るものなので、全体的傾向とか
    統計的な数値を挙げることはできません。あくまでも「参考」という位置付け
    で読んでいただければと思います。その意味で多少主観的判断も混じっている
    かも知れません。また、例によって旧日本海軍に限定します。

    そもそも、飛行機は個人に帰属するものではないので、そういう意味での「固
    有機」というものはないと思います。ただ、すでにいくつかの指摘があったよ
    うに、「特定の機を特定の搭乗員が使う」という傾向はあったと思います。殊
    に、戦争前半のほうが顕著だったものと判断しております。

    当時の飛行機は、機体や発動機にそれぞれ個体差や固有の癖があり、それを熟
    知した上での飛行作業が要求されたこともあって、同じ人が同じ機体に搭乗す
    るという必然性が高くなったとも言えますし、またそれがある程度可能だった
    のだと思われます。たしか、開戦直後の三空とか台南空の零戦隊では、航続距
    離の延伸に苦心しており、このようなことも関係あったかのようなこともどこ
    かで目にした覚えがあります。

    また、指揮官や編隊長搭乗機には、列機が編隊を組んだり、指揮下の飛行機の
    空中における集合を容易にするため、尾部に識別のために帯を巻いたり筋を入
    れたり、あるいは真珠湾作戦の際、各攻撃隊指揮官機の一部に、主翼に大きな
    目印を記入していたことなどが良く知られていることと思います。これは、飛
    行作業毎に使用する機体が違っていたらその度に標識を書いたりする必要があっ
    てさすがに面倒なのだと想像されるのと、上記のように機体の癖などの問題が
    あって、指揮官や編隊長が搭乗する機体がある程度固定していた理由となった
    り、あるいはそれ故に施されたことなのかもしれません(まあ、真珠湾のとき
    の翼への記入はやや特殊かも知れませんが)。

    また、(これはおそらく母艦部隊に顕著な話かもしれませんが)水平爆撃隊(艦
    攻)の爆撃嚮導機の操縦員などにおいては、爆撃照準の際に微妙な操縦を要求
    されることから、その機体の操舵系の調整を自分の好みに行い、調整後は整備
    員に一切触らせない等の事をしていた人もいたと言います(源田実の本に出て
    きますよね)。

    これらのことをして、特定搭乗員の特定機体の使用の事実がある程度存在した
    ことを物語るものと考えます。

    ただ、例えば当日の搭乗割と使用機体が示された後で、小隊長が「今日は、俺
    の機体に乗っていけ」といきなり機体の交換を命令されたりということもあっ
    たようで、総指揮官や大隊長の場合はともかくとして、小隊長搭乗だからといっ
    て帯が入っていなければいけないとか、あるいは小隊長の識別の帯が巻いてあ
    るからと言ってその人以外の搭乗がありえないとか、そういうことではないと
    いうことも一方でいえます。総指揮官にしても、発動機故障で本来の機体が使
    えなかったら、帯無しの機体でもそれに搭乗して空中における指揮をとるのが
    常識だったのではないかと思います。

    また、母艦の飛行甲板上で緊急発艦などのために待機している機体は、別段当
    直搭乗員が良く使う機体をその度に格納庫から出すのではなく、あくまでも適
    宜選んだ機体を飛行甲板に出しておくと認識しますので、このような機会に「
    他の搭乗員が良く使っている機体に搭乗する」という機会はありえると思いま
    す。

    ただし、この「特定の機体を特定の搭乗員が使う」という話も、損耗が少なかっ
    た戦争前半においては可能だったものと思われますが、後半では損害続出、被
    弾等で要修理となってもその修理が終わる前に次の飛行作業などがある場合も
    多くなり、次第に機会が少なくなっていたものと推測いたします。
    今泉 淳


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