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1576 零戦21型はいつ頃まで本来の任務(特攻、哨戒、練習、連絡等ではない、対戦闘機制空や対爆撃機迎撃等の任務)についていたのでしょうか。
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  1. 生産が十九年二月で終了しているので、マリアナ沖海戦前後までが本格的な実戦参加期間です。「あ号作戦」時の航空隊は五二型半数と二一型半数で構成されていた例が多く見られます。その後も実戦参加例はありますが、零戦三二型や零式練戦も空戦に参加している例がありますので、あまり本格的とは言えないでしょう。
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  2. 日本国内で運用されていた機体なら練習等の任務に簡単に転用可能だと思いますが、補給の難しい外地で52型に一斉に更新できたのでしょうか。終戦まで21型が主力だった部隊とか、ありそうな気もするのですが、やっぱりないのでしょうか。
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  3. 飛行機の補給は非効率と批判はされるものの、かなり組織的に行われています。工場で竣工してから航空廠に運ばれ、外地へはそこから前線の航空廠、支廠に輸送されて部隊に渡るのですが、この間は機種により、また機によってバラツキはありますが、一ヶ月から二ヶ月の間です。ですから軍は一ヶ月の生産分程度の在庫機を持っていることになり、それは航空廠の在庫機数からほぼその水準が確認できます。

    また平時であっても機材の消耗は激しく、航空隊は年度ごとに機体の定数程度を補充される予算を本来持つものでした。更に戦闘機には「空戦何時間で廃機」という目安もありましたので、長期に渡って生き残った機体があっても、近隣の航空廠に還納されたものと思われます。そうした還納機の機数もかなりの量にのぼります。

    ですから二一型の生産終了後の本格的部隊配備はどう見ても十九年初夏にはほぼ終了しており、その後は航空廠在庫機からの補充、既存航空隊の装備機からの転用という形で少数機が配備されて使われたに過ぎません。

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