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1897 真珠湾攻撃で第二次攻撃隊を襲った二機のP-40が撃墜した
航空機の機種は何だったのでしょうか?
BB

  1. P-40に撃墜されたかどうかまでは知りませんが、第二次攻撃隊の未帰還機は1、2航戦の艦戦、艦爆から出ているようです。


  2. 「ゼロ戦20番勝負」と言う本に所属、撃墜された数は忘れてしまいましたが、
    (文中にあった)99艦爆であったと書いてありました。

    田舎っぺ

  3. 上がって来たP−40に墜とされたのなら、艦爆の可能性が高いでしょうね。第二次攻撃隊艦戦未帰還6機のうち、3機は蒼龍の飯田房太大尉の小隊でこれはP−36が相手、1機は不時着後に抗戦した西開地一飛曹、加賀の行方不明2機も地上砲火によるものとされているようですから。


  4. 自爆した赤城艦爆AI−202は「自爆」前に空戦で敵機を撃墜してますね。


  5.  ここで言われている2機のP-40のパイロットは、
    GEorge S WelchとKenneth Taylorのことだと思います。
    二人の奮戦は
    http://www.aviation-history.com/airmen/pearl.htm
    などに描かれていますが、撃墜したのはValこと99艦爆のようです。

     なおこのジョージ・S・ウェルシュ(この読みが正しいようです)は戦後にテスト・パイロットとなりますが、
    1955年にF-100のテスト飛行中に空中分解事故で命を落とします。

    空中分解事故で命を落とすテストパイロット
    便利少尉

  6. 皆様、回答ありがとうございました。
    多くの映画等では零戦VSP-40という構図を見かけたので
    実際に撃墜されたのはどれだったのか
    気になったのです。
    BB

  7.  ところがhttp://home.att.net/~historyzone/Welch1.htmlを見る限りでは、
    ジョージ・ウェルシュは零戦も撃墜したことになっているようです。
    ほかにもウェルシュの当日のスコアとして99艦爆2機に零戦1機を挙げているサイトを見たような記憶もあるのですが、
    まだどこだったか思い出せません。
     もちろん奇襲の混乱の中、ましては初めての実戦初めて見る敵機で、機種の混同や戦果の誤認も大いにあり得ることだったと思います。
    便利少尉

  8.  見つけました。このページだったと思います。
    http://www.tmg.obywatel.pl/pr_welch_george.htm
     これによるとジョージ・ウェルシュの1941年12月7日の戦果は、
    零戦が1機に艦爆3機となりますね。
     それから彼がF-100のテスト中に事故死したのは1955年ではなく、1954年でした。訂正します。

    便利少尉

  9. こちらも分かりました。飛龍の艦戦隊がP−40と会敵したようです。撃墜を報じられたのは不時着した西開地重徳一飛曹機(BII-120)でしょう。



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