QQCCMMVVGGTT
1967  陸軍の戦闘機パイロットは洋上飛行が出来なくて有名でしたが、英米などでは
どうだったのでしょうか?
Take

  1.  本当に洋上飛行ができなかったのでしょうか?
     蘭印や台湾の部隊は日常的に海上での作戦をしていたはず(台湾の一式戦や九九軍偵には洋上迷彩まで存在する)です。また、大陸の部隊でも一面の草原の上を飛んでいくのは洋上飛行に近いセンスと技量を要求されるのではないかと思われます。
    Schump

  2.  これはパイロットの技量にもよるでしょうが、必ずしもそれだけが要因ではないのでは? 出典は忘れましたが、南方諸島に進出する編隊で、一式戦は、約10機の編隊でほとんど全機(多分全機)目的地に着陸いたしましたが、数日後の三式戦では約10機中目的地に着陸したのは、たった1機だった と読んだ記憶があります。
    roht

  3. 一般論として、日本陸軍航空隊では主に地紋航法を訓練していたと聞きますから大陸での行動は得意ですが、洋上の只中に放り出される場合の航法とは事情が異なるのではないかと思います。
    裏を返せば、地紋航法の応用できる海域では日本陸軍航空隊も特別の訓練なしで行動可能です。
    近海、諸島・群島づたいに飛行できる空域などがこれに当てはまります。

    本題の単座戦闘機の洋上航法についてですが、通常は航法の確実な爆撃機や偵察機などの誘導機がつくから安心して洋上飛行ができるわけで、単座戦闘機だけでの洋上航法は困難です。
    これは陸海軍とも同じようなものです。
    いくつか例を挙げてみましょう。
    日本海軍では、インド洋作戦で零戦隊を母艦に誘導するために艦攻が列になって道標の役目を果たしています。
    緒戦のダバオ空襲では龍驤飛行機隊の練度に難があるため、駆逐艦が龍驤までの道筋に列を作って飛行機隊の道標となっています。
    日本陸軍は確かニューギニア方面に飛燕を派遣する際に海軍誘導機がいたにも拘わらず行方不明機を出していたはずです(記憶モードなのですいません)
    ちなみに大戦後半の米海軍はこの限りではありません。
    戦闘機隊だけで偵察隊を組織し、遠距離を進出した例があちこちで見られます。

    米陸軍爆撃機隊は開戦時より洋上飛行が出来たようです。その任務に日常的についていましたから。
    但し、しばしば航法失敗による行方不明機を出していますので、練度が高かったかというと疑問が残ります。
    米陸軍単座戦闘機については単独で進出したという話は生憎聞き及んでおりませんので想像の域を出ませんが、爆撃機隊の練度から鑑みるに少なくても大戦前半は戦闘機単独での航法には難があったと見て良いと思います。
    想像ですが、大戦後半は無線技術の向上や戦訓対策などで洋上航法ができた可能性は高いと思います。
    英軍は全く知りませんのでどなたか他の方のフォローをお願いします。
    アーサー様親衛隊

  4. 2>を訂正いたします。

    飛行区間 トラック島〜ラバウル

     かって第11戦隊の隼61機は1機の落伍もなく全機到着しました。

    昭和18年4月27日、第68戦隊の第一陣飛燕13機は途中、エンジントラブルや海上航法の失敗で到着したのは1機のみでありました。ただし、この68戦隊機は誘導の百式司偵との空中集合に失敗しています。(要約)

    パイロットの技倆もさることながら機体の信頼性に大きな問題があった。

    『戦闘機 隼』 碇 義朗 著  光人社NF文庫  P203
    roht

  5.  どうやら戦闘機単独で出きなくは無いけど、誘導機がいるに越したことはないのですね。
     どうも有り難うございます。
    Take


Back