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2034 鉄道マニアの友人から聞いた話(に小生が肉付けしたもの)ですが、
以前、北海道北部に「天北線」という国鉄線(音威子府〜南稚内/JR時代の平成元年頃廃止)があり、その線に「飛行場前」という仮乗降場(国鉄としての正式な駅ではなく、地方鉄道管理局が便宜上設置した駅類似の乗降施設)が存在していたようです。この乗降場は浅茅野−安別間にあり、場所からいって、本サイト内「北海道の旧飛行場リスト」にある「浅茅野第一飛行場」前という意味ではないかな、と思いますが、軍用飛行場の前にある「飛行場前」という名称が、戦後も延々と使用されてきたというのも釈然とせず、かといって、この軍用飛行場が戦後、民用あるいは自衛隊用として使用されていたとすれば、国有財産(特に旧軍用財産)の監理・処分のあり方として「現状農地」というのが奇異に感じられます。
どなたか、このあたりの状況について詳しい話をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか?
海機55期

  1.  施設の名前の駅名が、その施設がなくなっても延々と使われることは 良くあることです。計画倒れの遊園地の名前を 延々と使っていた例もあります。仮乗降所は、人口の少ないところに 作られますので、どんな名前でも たいして困らないのです。駅名になる地名や施設が、他に無いとも言えます。ちなみに、利用者の多いい駅の場合は、関係各所に多大な影響が出るので、おいそれと変更できません。
    にわとり

  2. ちなみに都内にも、実際には存在しない施設の名称を使った駅名が存在します。「都立大学」及び「学芸大学」です。どっちも移転してしまっていますけど、駅名はなかなか変えられないようで……毎年何名かは、受験の時に間違えて受験できなくなるそうな。
    そうそう、「大泉学園」なんてのもありました。学園都市構想に基づき、誘致のために先に駅名を決めた(大泉は地名)のに、学園誘致に失敗したという(爆) かろうじて学芸大付属高を誘致できたので面目を保ってますが……
    tac

  3. 「飛行場前」の飛行場とはご察しのとおり浅茅野第一飛行場のことですが、この飛行場は敗戦後、飛行場として使用されたことも、米軍や現自衛隊が使用したこともありません。
    また、このような農地化と実際の払い下げの時期が前後している例は北海道に限らず、日本中いたる所で起こった事です。
    なお、駅名(「飛行場前」は天北線廃止直前に臨時乗降場から駅に格上げになっています)の変更云々については前のお二方の回答のとおりです。
    TRON

  4. あ、臨時乗降場ではなく仮乗降場でしたね。
    ちなみに仮乗降場から旅客駅になったのは昭和62年3月31日のことでした。
    TRON

  5. 詳細は忘れましたが、昔読んだ本田勝一著「北海道探検」に、道北の「飛行場前」の話がでてきました。戦時中、中国人を強制労働させて突貫工事で作ったとか。「北海道探検」は本屋、古本屋、図書館で容易に入手可能ですので、ご一読をお薦めします。
    NX

  6. ↑「北海道探検記」でした。北海道開拓の歴史を”本田勝一氏”の立場から検証した本です。http://www.oct.zaq.ne.jp/afarh508/hokutanken.htm北海道の地名って、アイヌ語そのままのものや、「四号線」「北一線」と言った無味乾燥なものが多いですね。
    NX

  7. 忘れていましたが、「飛行場前」仮乗降場が開設されたのは、戦後10年経った昭和30年12月で、戦前からあったわけではありません。
    TRON

  8. >2 なんと、ここで大泉が出るとは!近所です・・・
    Take

  9. 天北線の飛行場前は、84年に探索したことがあります。
    一応元の滑走路の形状をうかがうことはできました。当時は牧草地(放牧地ではなく、作物として草を育て、刈り取る畑)に利用されていました。
    小型機1機分のバンカーが2,3カ所残っていて、地元の若者が何やらやった痕跡もありました。
    地元の人の話でも戦後は飛行場として使ってないそうです。
    MORIOKA

  10. 現在の「飛行場前」駅付近の旧天北線はサイクリングロードになっています。
    また、浅茅野第一飛行場跡には数基の無蓋掩体が残っていましたが、現在は
    全て整地され、全く残っていません。
    (残っているのは基地正門の門柱と井戸跡だけです:10年ほど前から数年おき
    に調査に行っていますが、それ以上は残っていないそうです。)
    なお、第二飛行場の方には無蓋掩体が1基残っています。

    TRON


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