QQCCMMVVGGTT
2080 昔、亡くなった祖父に聞いた話なのですが祖父は淡路島出身でして
徴兵後いろいろあってから広島の方で飛行機を作っていたそうなのですが
その際にベニヤ板のような木材合板を木工用ボンド(?)のような接着剤
でくっつけて航空機を作っていたということを聞いたのですがどのような
種類の航空機を作っていたのかまでは聞いてなかったのでいまもって
わかりません。

あと、大戦中は外国でも様々な素材で飛行機が作られていたようですが
木材以外ではどんな素材が使われていたのでしょうか?
祖父の遺品を整理していてふと思い出しただけですが気になったので
できましたらお答えいただきたいと思いまして書き込みさせて
いただいております。
よろしく、お願いします。


幻雲

  1. 一般的な飛行機でも戦争後半になるとかなりの機体に木製の部品が使用されているのですが,全木製化された機体には「疾風」「99艦爆」「東海」などがあります。また機体構造の一部に木を使用したという例はそれ以上に多いです(桜花の主翼,秋水の尾翼,100式輸送機など)。ちなみに「疾風」の木製化は富山と江別で行われた筈なので除外できますが機種の特定は難しいかも。海軍機・・・になるのかな?

    飛行機に使用された木材以外の素材ですと,メジャーどころでは鋼,軟鋼,羽布等があります。


    ”&”

  2.  広島ですとマルニ木工が疾風の木製化に参加しています。主製品は海軍向けの木製落下増槽や対潜爆弾のようです。
    能登

  3. 江別の王子航空機で製作されたキ−106(四式戦の木製化版)は、牛乳から抽出?した
    カゼインを接着剤として使いました。
    TRON

  4. 末期の木製機は機体構造にはカゼインではなく主に石炭酸系の接着剤を使っていたと思いますよ。
    BUN

  5. >3&4
    知られざる軍用機開発(下)には
    川西の木製輸送飛行艇「蒼空」では石炭酸樹脂接着剤を
    松下の木製練習爆撃機「明星」には尿素系合成樹脂接着剤とベークライト系樹脂接着剤を用いたと紹介されてますね

    また明星の項には木製飛行艇の時代にはコンニャクノリ、それ以降はカゼインが主体だった事も述べられています
    前後の文脈から想像するに、この次に全金属製機の時代が来て
    カゼインは廃れていったとように感じられます>そして新世代の接着剤に移行したのでしょう
    大戦末期にカゼインを使ったとするなら
    それは旧世代の技術を(新世代の製造や運用ノウハウが足りない為)仕方が無く掘り起こした物なのではないかと想像します

    SUDO

  6. ↑材料と接着剤の使用区分が定められているんです。だから主役は退いたとは言え、カゼインを使用すべき材料と工作箇所というのも最後まで存在していた訳です。
    BUN

  7. ↑大戦末期に接着剤が枯渇したのもあるんじゃないですかね。零式輸送機の木製化でこれがネックになった
    みたいな事を戦後の米軍資料で書いてあったのを見たことがあります。
    大塚好古

  8. ↑ うお、割り込まれた。7は基本的に5への回答です。
    大塚好古

  9. 皆様様々な御意見ありがとうございます。

    TRONさん>牛乳から抽出?したカゼインを接着剤として〜
    という記述には心当たりがありました。
    戦時中場所は異なりますが鳥取でこれは祖母の父が徴用先の工場(?)
    で牛乳から作った接着剤を使って「何か」作っていたということを
    聞いていたので「なるほど〜」と思いました。
    どうもありがとうございます。

    幻雲

  10. >4.
    王子航空機の場合は、北九州の工場が爆撃されたため石炭酸系接着剤が入手困難に
    なり、キ-106の量産にはミルクカゼインが使われています。
    (石炭酸系接着剤を全く使わなかったのかどうかまでは分かりません。)

    ちなみに、北海道立開拓記念館にカゼインだけで接着されたキ-106の落下増槽2個
    (1個は完成品、1個は半完成品)と主翼の3分の1が常設展示されています。
    これらは量産に先だって作られたテスト品だそうです。
    TRON

  11. イギリスの木製戦闘機の大傑作機、デハビランド・モスキートは石炭酸樹脂(フェノール樹脂)を用いて木材を接着し、重量増になりがちな木製機の軽量化に成功したそうです。その他にも補強の為に布を巻く(木製外板の下に)などの工夫もしたそうです。(一部に補強用としてジュラルミンも使用)
    YF−23A

  12. 木製「白菊」というのもありました。以前読売新聞で写真入り記事
    が掲載されてました。取っておいたんですが無くしてしまいました。
    確か岡山当たりで作ってたはずです。
    Ka

  13. 他の所にも書きましたが、開拓記念館の主翼と増槽はキ106とは関係ありません。ただの工作見本として工業試験場で製造されたものです。キ106の増槽ではない証拠に見本は各種あり、形状の異なるものも収蔵されています。学芸員の方も同様の見解です。
    BUN

  14. >13.
    でも、これらは大戦末期にカゼインだけで接着したということは知ってますよね?

    TRON

  15. テストピースに過ぎませんからカゼインで接着しても良いようなものだったと判断しております。キ106をカゼインのみで製造することは無理だったのではないでしょうか。
    BUN

  16. ついでにいうと、敗戦時、王子航空機江別工場(末期の正式名称は愛国101工場)
    には王子航空機製3号機(完成機)の他、約100機分の(カゼイン接着による)
    未完成機体が残っていました。
    TRON

  17. 今、手もとに無いのですが、出典は「叢書江別に生きる」でしょうか?
    BUN

  18. はい、情報源はその第4冊と現地での聞き取りです。
    TRON

  19. ありがとうございました。
    BUN

  20. なんか、リアルタイムチャットみたいでしたね。(苦笑)
    TRON


Back