QQCCMMVVGGTT
2200 プラモ屋の輸入プラモコーナーでエレールのコードロン・ルノーC.714を買いました。この飛行機がどんな飛行機か教えてくれませんか?
また50機がフィンランドに輸出されて輸送中に44機もが失われたと聞きますが(「北欧空戦史」より)原因ってなんでしょう?
ロックマン

  1.  朝倉先生かマナカジンスキー同志がデータベースにアップしてないかと思ったのですが…載ってませんね。手元にあるデルタ出版「世界の戦闘機」No.2 より抜粋します。
     C.714 は 1936 年にドイツで開催されたエアレースで優勝したエアレーサー C.561 をベースに開発された戦闘機で、試作機の初飛行が 1938 年 11 月 5 日。ルノー 12R-03 空冷倒立 12 気筒 1000hp(3600m/公称)を搭載、武装は主翼に MAC 7.5mm 機銃四挺。緒元 全長 8.97m/全幅 8.63m/全高 2.87m/自重 1395Kg/全備 1880Kg/速度 460Km(5000m)/上昇 4000m まで 9.66 分/上昇限度 9100m/航続距離 900Km。
     フランス空軍には採用されなかったものの 1941 年 6 月まで 63 機が生産され、亡命ポーランド人で構成された第145戦闘航空団第一大隊に 46 機が引き渡され、実動 14 機がリヨン防空任務に就いた、とあります。フィランド輸出について同書では言及されていません。
    ささき

  2. (/TДT)/あうぅ・・・・、シクローヌもそのうち・・・と思ってる飛行機だったんですが・・・。
    この輸送中消失の原因は、よくわかってません。
    華奢な木製機のため、船便で輸送中に破損したり腐ったり(笑)したのではないかという話もあります。
    フィンランドでは休戦のために輸送が中止され、その分はフランス空軍ポーランド義勇飛行隊(GCI/145)のものになったと信じられているようです。
    http://www.sci.fi/~fta/ca-fin-1.htm
    これによると、実際に送られるはずだったのは46機であり、それを5回に分けて運ぶ予定で、休戦時に出港していたのは最初の6機のみ、10機はルアーブル港にあり、あとの30機はまだ港にも着いていなかった、ということになります。

    ささきさんの資料の生産数からするとそれで正しいようでもありますが、生産数は90機前後であるとする資料もあって、なんともいえません。
    フランス側の言い分を聞いてみたいですが、フランス語は読めません〜 (×_×)

    まなかじ

  3. フランスとポーランドの国籍マークを組み合わせた変なデカールが付いていたのは亡命ポーランド人が運用していたってことですね。
    ロックマン


Back