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2265 零戦・97艦攻・99艦爆の上面塗装のことで質問します。最近、南太平洋沖海戦の実写フィルム(日本側撮影)を見たのですが、登場する零戦は明灰色でした。ガタルカナルでの戦いの頃なので、すでに暗緑色だと思っていたので以外でした。(ラバウルでの飛行場に待機している海軍機の写真は暗緑色なので)上記の3機種はいつ頃から暗緑色になったのでしょうか?また生産番号で明灰色と暗緑色の区別はあったのでしょうか?それとも明灰色を現地で暗緑色で塗り替えていたのでしょうか?過去ログであったかもしれませんがよろしくお願いします。
ズングリ雷電

  1. 九七艦攻の迷彩が真珠湾攻撃時に実施されているのは御存知の通りですが、真珠湾では鼠色の九九艦爆はインド洋作戦時には既に迷彩が導入されていた様子です。工場完成時に迷彩が施され始めたのは恐らく17年春頃からだと考えられます。
    零戦の場合は18年3月頃の工場完成機(製造番号は三菱3500番台後半あたりでしょうか)から迷彩が導入されているようですが、現地での塗り替え、または斑迷彩はそれより早く17年末頃には実施され始めていたように思います。現地で塗り上げた迷彩零戦は風防枠の下辺までを塗装し枠の上方は塗り残している機体が多く見られます。
    BUN

  2. 零戦隊で最初に迷彩を導入したのはラバウル・ソロモン方面の基地航空隊です。これは現地塗装です。このときには濃緑色系の色ではなく、淡緑色を(も)使っていた可能性があります。(渡部利久氏の聞き取り調査による)淡緑色の色調については学研「零式艦上戦闘機2」所載のカラーチップの写真を参考にして下さい。
    基地航空隊でも南西方面の二〇二空などは18年に入ってもまだ迷彩塗装をしておらず、南東方面への派遣機以外は現地での迷彩は行っていないようです。
    艦隊の零戦は18年3月までは灰色です。い号作戦前に迷彩塗装をしてラバウルに出かけていっています。ただしベタの迷彩ではなく、まだらや格子縞模様です。
    生産工場での零戦への迷彩塗装導入が確認できるのは、三菱、中島ともに18年2〜3月頃の完成機からです。(従来18年6〜7月からと言われていたのよりもかなり早いことが写真を調べていて分かりました)
    したがってい号作戦後の空母機はこれ以降の新造機を受領しているはずですから、「緑色」(いわゆる濃緑色とか暗緑色と言われている色)になっているはずです。
    ところで、この時期以降零戦の全機が迷彩されたわけではなく、実は終戦に至るまでかなりの数の灰色単色塗装のままの機体が残っています。あの厚木の三〇二空でも「ヨD−」の尾翼番号をつけた灰色単色機が見つけられます。



  3. ↑補足。渡部利久ご自身が「淡緑色」と言う言葉を使われたわけではなく、。氏が二〇四空の搭乗員の方から聞き取り調査して得られた色調をFSナンバーで表されたものと、「空技報0266」に添付されたカラーチップ「M1淡緑色」の色調が酷似していたものですからそう判断しました。淡緑色はコクピットの塗装に使われていた可能性のある塗料ですので、現地部隊に在庫があったのではないかと想像を膨らませております。



  4. ↑敬称をつけ忘れました。再三にわたって失礼しました。


  5. でもね、片さん、陸攻や艦爆が進出している基地群には迷彩用の濃緑色も当然あったと思いますよ。陸攻は現地で外板張り替えてますし、それに初期のようにエアガンで吹けば当然色は薄くなりますから色の問題は何とも言えませんよね。
    BUN

  6. はい。実物が残っていない以上確実なことは分かりません。「想像を膨らます」以上は望めないでしょう。戦後数十年たってから当事者の示されたカラーチップをどれだけ信用できるかと言う問題も大きいです。まあ、こういう例もある時期存在したかも知れないという程度にとどめるのが正解なのでしょう。私にしても、二〇四空の全機がこの色だったは思いませんし。
    しかしながら、「0266」とは全く関係のないところから出て来た色調が、「0266」のカラーチップとあまりに酷似していることにひたすら驚いております。しかもこれはずいぶんと印象的な、人の記憶に残りやすい色調だと思うのです。



  7. まあ、真っ当な緑色ですものね・・。私は「クリーム色」に打撃を受けています。
    BUN

  8. このところカラーのサンプル(画像だけど)を集めまくっていますが、真珠湾の九七艦攻こそ「クリーム色」をしておりまして.....。


  9. BUNさん・片さんご回答ありがとうございます。ついでの質問で申し訳ないのですが、エンジンカウルの塗装ですが零戦だけ全体「黒」です。雷電・紫電改は上面のみ、又は特に「黒」に塗られていません。局地戦闘機だからでしょうか?(烈風は写真が少ないので分かりませんが・・・)
    ズングリ雷電

  10. 発動機シリンダーの黒塗装は本来「放熱」目的のものだった、ということだそうです。初期の機体のタウネンドリングの黒塗装も同じように放熱、あるいは耐熱の効果を期待されて塗られていたのでしょう。零戦にはそれがありますが、同じ発動機を積み同じ部隊内で運用される九八陸偵にはありません。
    >紫電改は上面のみ
    といっても、それはオレンジ色の試作機だけのことですよね。緑に迷彩された機体には塗られていません。あの黒塗装には実際それほど実用的な意味がなかったのではないかと思います。ではなぜ、戦闘機以外も含めてかくも機種ごとにまちまちな塗装様態をとっているのか。今のところこれはという見解にはめぐり合っておりません。




  11. 片さんご回答ありがとうございます。「放熱」が目的だったのは以外でした。同系列のエンジンを搭載した陸軍機には見当たりませんね。やはり効果に疑問があったのでしょうか。しかし零戦だけ末期まで行われたのも不思議な話ですね。
    ズングリ雷電

  12. シリンダーとシリンダー冠の黒塗装は放熱目的であることは文書で確認できます。これは省略しても放熱効果にあまり差が見られないので中止するという内容の通達が昭和十八年に出ていますのでそれで確認できるわけです。しかしカウリングの黒塗装は空技廠発動機部の方々に質問しても「放熱か耐熱目的だったような気がする」という回答しか得られておりません。本来の目的は現在勉強中です。
    末期の機体に黒塗装が少なくなるのは生産簡略化の為に省略されたのだろう、という想像をするのみです。
    BUN

  13. BUNさん、いつもいつもご回答ありがとうございます。私も一度違う角度(金属板の色と熱伝達)でも調べてみます。
    ズングリ雷電


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