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2344 百式司偵は優秀な偵察機だったそうですが、いくら速度性能が優れていても戦闘機には転換できなかったのでしょうか。もちろん末期に斜め銃を装備したことは知っていますが、屠龍のような目的には機体構造的に無理だったのでしょうか。戦時中は翼の構造などを設計しなおすということはできなかったのでしょうか。例えば隼の主翼を機銃が装備できるように設計し直すということですが、
ビギナー

  1. #隼の主翼
     キ43が翼内銃を装備できなかったのは、桁が3本もあって装備スペースがとれなかったからです。さて、これを「太目の桁2本(中桁削除)」にするとなると、まず、胴体側で揚力を受ける=飛行中の荷重を支えるフレームも、3枚で分担していたのを2枚で受けるように直すことになりますから、フレームそのものだけでなく、これを結ぶ縦通材や外板の構成も見直すことになり、その結果重量配分が変わるので結局は胴体全面の構造設計をやりなおすことになります。
     …これでは別機種ですね。性能向上の幅を考えると、まっさらの新機種を作ったほうがお徳でしょう。 
     量産中に主翼構造の根本的見直しをした大戦機というと、スピットファイア(しかもほとんど終戦に間に合ってない)、Yak戦闘機(金属材料の入手が容易になった結果)、Fw190→Ta152、He111(ちょい疑問)ぐらいしか思いつかないです…要するに「そんなヒマはない」んですね。生産ラインの切替えも面倒だし。
    Schump

  2. 百式司偵、特に III 型は 1500 馬力級双発機として異常に軽い機体です。P-38 や Bf110 が全備重量 10t 弱なのに、司偵は 5t 強しかありません。この軽さは設計荷重 3.5G と機体強度を低く押さえることによって実現したもので、要するにフニャフニャなのです。司偵改造戦闘機には急降下すると翼が折れそうに曲がったとか、急旋回すると胴体が撓って皺が寄ったとかの話が残されています。妙な例えですが、競輪用自転車でオフロードトレッキングするようなものだったのでしょう。
    ささき


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