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2566 大戦末期、ビルマ方面に英軍のモスキートが送られたそうですが、あんな気温と湿度の高い土地で木製機の運用は大丈夫だったんでしょうか?
竜田川

  1. 反ったとか・割れたとか・キノコが生えたとか・・
    ネタかも

  2. 多少は影響があったかもしれませんが、第二次大戦当時の木製機は単純な木製ではなく、合板に樹脂を浸透させた強化木材を使用しているので何とかなっていたのではないでしょうか。
    ビルマで捕獲したモスキートは日本の木製機開発の重要な参考資料となっています。
    BUN

  3. 合板の接着、最初はやはりカゼインが使われていて、後に
    尿素系接着剤使われるようになったそうです。カゼイン使
    用の機体も東南アジアに送られ、それはそれは悲惨な状況
    になったもようです。
    間借り人

  4.  戦後の機体ですが、木金混合構造のデハビランド・ホーネットがマラヤの共産ゲリラ掃討作戦に使われていたときに、主桁構造に崩壊を生じて早々に退役を余儀なくされています。しかし、これは高温多湿によるものではなく、爆弾類をたくさん抱えての低空での激しい機動に接着剤が耐えられなかったためだとされています。
     La-5/7あたりは戦時生産の悲しさで塗装が粗く、本当にカビが生えたそうですが、腐って構造がもろくなる前に被弾で修理不能になるか旧式化するかという状況だったので、特に問題視されなかったようです。
    Schump

  5. 1943年2月、英航空省は極東地区への適合性を確認すべく、6機のモスキートをインドに送る計画を立て、43年5月までにHatfield製の4機のモスキートMk.IIが送られています。 この内2機が外板の接着にカゼインを用い、他の2機は尿素樹脂系の接着剤を使用した機体であり、尿素樹脂系の接着剤は強度もさることながら、当初はむしろ、その溶剤として用いられ、接着後もある程度残留するホルムアルデヒドの防虫・防菌効果が期待されていた節があります。 いずれにしろ高温・高湿度・高降水量という条件の中での耐候試験は満足すべき結果を残し、早くも8月初旬にはインド・カルカッタ郊外のダムダムから偵察飛行を開始しています。以降モスキートの南方での運用は順調に推移しますが、44年10月20日、爆撃練習中の第82スコードロンの1機が緩降下中、右翼空中分解で失われるという事故が発生し、直ちにインド配備中のモスキート全機に飛行停止命令が下されました。原因は加熱による接着部のクラックに起因した外板の桁からの剥離であり、対策として中東地区に1ヶ月、極東地区に3ヶ月以上配備されたモスキート全機にインド・Kanchraparaに所在した中央整備所での点検を義務づけ、また尿素樹脂系の接着剤の使用機にはそのような問題が見られなかったことから、カゼイン系の接着剤を使用した完成部品全ての破棄命令が出ています。 この対策以降、1955年12月15日に第81スコードロン所属のRG314機(Tengah所在)が極東での最後の飛行を行うまで、厳しい気候風土に耐えモスキートは活躍を続けました。
    みなと


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