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2703 ベル社は、大戦中は飛行機メーカーだったのに、戦後ヘリコプターメーカーにシフト出来たのはどうしてでしょうか?社長の気まぐれ?シコルスキーからのヘッドハンティング?
まさのり

  1. ベル社の創業は1935年。
    大戦終結時にはまだまだ若い会社です。
    P-39、XP-59、X-1、X-2、X-5・・・というラインナップをみても
    ベンチャーともいうべきアグレッシブな企画姿勢が見て取れます。
    同社がすでに大戦中から開発を進めていたヘリコプターの分野に積極的に
    乗り出し、その中心的存在のひとつになっていくことも十分にうなづけることだと思います。


  2. 技術的にはP-39/63の経験が大きいといわれています。特に
    ・回転ムラのない延長軸の継手と防振
    ・機首からコクピット・エンジンまでを一括して支える軽量大型フレーム
    ・側面にドア用の大型開口部のあるモノコック
    といったあたりがヘリにも応用できたといいます。
    Schump

  3. ベルがヘリコプタに手を出したのは、独逸でフォッケ61を見て関心を持った当時のベルの社長のラリー・ベルの所にヘリコプタの研究を売り込んだアーサー・ヤングとの出会いが実を結んだ所にあります。
    戦中での研究開発の末、戦後ベル式47型が世界初の民間ヘリになり、軍用のH−13が朝鮮戦争で使われました。
    戦後のベルは、音速機のX−1、ジェット機のP−59エアラコメット、ヘリコプタのBELL47と固定翼、回転翼と開発してくなか、各社との競合淘汰の末、残ったのがヘリコプタのみで、現在ヘリ以外ではボーイングと共同開発のティルトロータ機があります。
    余談ですが、ヘリコプタの開発者としてはVS―300のイゴール・シコルスキーが有名ですが、2枚羽根+スタビライザーバーの半関節型ローターを開発したアーサー・ヤングも知っておいてもいいかと思います。
    現在はベルでも2枚ローターはどんどん少なくなってしまいましたが...
    8ch

  4. シコルスキーとヤングの技術的接触はただ一度だけ、シコルスキーがベルの試作機をのぞきに来て「ああ、おまえの所はこうやってるのね」とひとことだけ交して帰って行った、そういう伝説めいた話になっています。



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