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2913 私は紫電改こそが海軍最強戦闘機ということを信じていますが、陸軍機と比較しても紫電改は優秀だったとおもっていますが、アメリカ軍は紫電改をどのように見ていたのでしょうか。
敵の目からみた紫電改の情報などがあれば、教えて下さい。
ベンゼン中尉

  1.  コードネームはJACKで紫電と区別してません。
     比島等の外地に展開しておらず、また登場が大戦末期で数量も極少であるために特別に注意した形跡も見受けられません。
     実際に目立つ戦果も無い訳ですから当然のことでしょう。

    SUDO

  2. >SUDOさん
     つまらない突っ込みですが、紫電は「George」なのでは?

    >ベンゼン中尉さん
     紫電改は「日本の機体では」まあ優秀の部類に入るかも知れませんが、兵器の運用なんて相対的なものです。高々400機ちょっとの生産数(実働は当然数分の1)で戦局をひっくり返せるわけではないですし、Me262のような画期的?な何かを持つ機体でもないので。
     (たとえばFw190の後期型と性能を比較すると、紫電改が本来はどのぐらいの性能か分かるかと。そんなに極端に優れているわけではないのです)

     ご質問の件ですが、何かの雑誌で「防弾は良かった」などの評価は聞いたことがあるのですが…。
    zono

  3. 逆な方向から、つまり日本海軍側からの目で見たとき紫電改の位置づけはことのほか大きく、19年夏以降雷電・陣風・烈風を取り止めそのすべてをこの1機種(と、その派生型)に統一しようとさえされていました。生産機種を絞り込むという軍需的意味合いも大きいと思います。結果的に、実力の絶対値の多寡に関わらず、日本海軍がその命運を託すしかない「決戦戦闘機」としてのポジションに立つしかなかった機体ではあるのです。


  4. >2
     フォローサンクスです。
     そっか、雷電のコードネームと混同してました。すいません。
    SUDO

  5. >>SUDOさん
    日本が最期に挙げた華々しい戦果が、松山上空での343空での戦いであったと聞いています。アメリカはそのとき1つの空母の艦載機を全て失う羽目になったのですから、アメリカ側は日本に新型機現るという見方をしたと聞いていますが。

    >>ZONEさん
    FW190ーDと性能を比較してはいけないかと思います。科学技術に秀でた国、ドイツであればこそ、いろいろな兵器が開発された訳です。
    日本の場合は、ある種、零戦に頼りすぎた嫌いがあります。零戦の設計を見直し、もっと高出力のエンジンを積めるように早急に改良するべきだったと思います。
    雷電は事実上、三菱の限界を示しているように見受けられます。
    ベンゼン中尉

  6. >>片さん

    当時の海軍は紫電改一本化の案で行ったようですね。月生産千機目標と聞いた覚えがあります。
    海軍では紫電改を空母に載せる計画も進んでいたようですね。その起爆剤が343空での紫電改の活躍であったと思うのですが。

    紫電改は当時の世界水準からいうと決して、高性能ではありませんが、日本機としてみた場合は矢張り、その性能は優れた物があったようですね。

    ベンゼン中尉

  7. >その起爆剤が343空での紫電改の活躍であったと思うのですが。

    それは時期的に全く違います。
    本土への直接空爆が始まるよりずっともっと早く、19年1月に紫電改の試作機が完成した直後、遅くとも春までの間に大規模な生産方針が打ち立てられ始めています。この頃出現した軍需省の位置を考えてみる必要があります。


  8. >ベンゼン中尉さん
     私が考えていた比較対象の機体は、Fw190Aの後期型です。
     (Fw190D型は1世代異なる機体だと思います。同程度の馬力を持った空冷機である、こちらのほうが分かりやすいでしょう)
     紫電改が日本海軍機では優秀な機体といえたことには異論はないのですが、F6F相手ならまだしも、F4U、P51などに対しては優位を保てるかは疑問です。
     例にあげたFw190Aでさえ、最後は数の力の前に押しつぶされているのですから、数的優位が確保できなかった(343空はある程度の数をぶつけたから戦えたのです)紫電改の場合どうなるかは明らかかと。

     識別の問題ですが、紫電改の場合、零戦や雷電とならともかく、元の紫電とはシルエットが極端に異なって見える機体とは言いがたいと思います。
     翼が低翼で長さは若干大きいですが、それを空戦中に「今までのGeorgeと大きく異なる機体」と判別するのは至難の業かと。
     もともとのサンプルとなる(=出撃できた)機数も少ないので、なおさら紫電と区別がつかなかったのだと思うのですが。
    zono

  9. むしろ、米軍の認識は逆であるところが面白く、19年末頃には「GEORGE11」を「低翼単葉」と認識しています。比島からの実物情報がよりもまだ諜報と捕虜情報が先行していて紫電改の情報を過大に取り込んでいたのかもしれません。この時点で紫電の最高速度を354ノットと見積もっています。零戦よりも時速90キロ以上速い新型機はじゅうぶん警戒の的になっていたのではないでしょうか。


  10. >9
     その件は知りませんでした。
     元の紫電を紫電改と混同?していたとしてら、確かに改めて紫電改が出てきても区別できませんね(^_^;;;
    zono

  11. 確か、ラバウル航空隊の中にも紫電の名が出てきますよね。
    紫電は千機以上作られているにも関わらず、実際の評価、または戦後の関係本での評価が悪いのも、際立った活躍をしていないからですね。
    そうしますと、紫電改は記録ではなく、記憶に残る戦闘機という解釈になりますね。
    確かに、F6Fは凌駕していた訳ですし、私は紫電改の旋回性能、攻撃力、防御力などはライバル視される他の日本機よりも勝っていると思うのですが。


    ベンゼン中尉

  12. まず最初に、ベンゼン中尉殿がお尋ねになってる「敵の目からみた紫電改の情報」ですが、陸軍の疾風と並んで、日本の戦闘機の中でベスト1,2を競う名機だったというような記述があります。 昭和26年に日本の旧飛行機会社を視察に来た、米軍の視察団の中に持ち帰った紫電改のテストをした方がおられ、「ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と模擬空戦をやってみたところ、どのアメリカの戦闘機も紫電改に勝てなかった。」というようなコメントを残されています。
    ベンゼン中尉殿
    >確か、ラバウル航空隊の中にも紫電の名が出てきますよね。
    私もつまらぬ突っ込みで恐縮ですが、フィリピンの間違いですね。 ラバウルには・・・行っていないはずです。
    本題からはずれてしまいますが、紫電が悪評だったのは、決して「際立った活躍をしていない」のではなく、主脚やエンジンの不調・中翼胴太のために前下方の視界不良など、マイナス要素が大きく報じられているだけと思います。
    Zono様
    >F6F相手ならまだしも、F4U、P51などに対しては優位を保てるかは疑問です。
    その様な事は、無かったかと思います。 私が零戦搭乗経験者の方々に聞いた範囲では、
    スピットファイア:問題外
    シコルスキー:問題ない
    グラマン(F6F):強いが、ま〜大丈夫
    P-51:手強いね!
    (当然、高度や数にも大きく影響されますが)というのが大方の意見です。 
    紫電改搭乗経験者の方は、「油断していなければ、グラマンだろうが、P-51であろうが、負ける気はしなかった。」と言っておられる方もおられます。

    pleak

  13. >pleakさん
    嬉しいご意見ありがとうございます。
    日本機でも紫電改はアメリカにかなりの数がと言っても数機ですが、展示されているようですね。
    私にはアメリカが紫電改の手ごわさを認めて、敢えて持ち帰ったと思われます。
    零戦が優雅ならば紫電改は無骨という感じがぴったりですね。

    ベンゼン中尉

  14. つくづく思いますが紫電改って計画では648km出るはずなのにカタログデータを取った状態でも595kmしか出ないことに不満とか無かったのでしょうかね?
    (同じく疾風は2000馬力出ていたら680km出る筈なのに624km、このことから誉はせいぜい1600馬力しか出ていなかったと思っています)
    ロックマン

  15. >14
     誉エンジンは時期によって運転制限してますし、誉11型の2速公称は1460馬力、21型で1700馬力です。運転制限で11型相当にしていたそうですから、1600馬力出ているならそれは予定通りで何も問題は無いと思いますが?
     ていうか誉21型の2000馬力って離昇出力ですから、最大速度とは関連しないと思います。
    SUDO

  16. >pleakさん
     なるほど、現場にいた方の意見は確かに貴重ですね。
     紫電改に限らず、日本機の場合「はまり技」があるので、そこに引き込めれば1ランク上の機体でもなんとか互角に戦えるとは思います。
     ご指摘の搭乗員の方の発言についても、その辺の自信があるからの発言でしょう。
     (この「はまり技」は良くある巴戦のことです)

     ただF4Uなどだと、彼らは巴戦に引きずりこまれても、高速急降下などで逃げられる確率も高いので、紫電改の能力を生かした戦いが出来る機会が少なかったのではないか?、ということを指摘したかったのです。

     さらにはやはり数の問題です。
     最近343空の戦歴を見る機会があったのですが、出撃機数に比例して戦果が決まってしまっています。
     1945年の4月上旬のある戦いでは、出撃機数36機(ちょっとうろ覚え)で2倍以上のF6Fを相手に互角に戦っているのですが、同年5月末には出撃機数が(任務の都合もありますが)1回で10機以下にまで落ち込んでいるのです。
     これでは単機の性能がいくら凄くても、戦力としては機能できません。
     その辺が紫電改の悲劇だったのかもしれません。
    zono

  17. >私にはアメリカが紫電改の手ごわさを認めて、敢えて持ち帰ったと思われます。

    これに関しては、終戦直後米軍から引き渡し要求があった飛行機のの内容がわかっております。海軍の戦闘機だけ見てみましょう。

    零戦六二型4機、同六四型、烈風改4機、月光4機、雷電二一型機、同三三型4機、天雷4機、強風4機、紫電3機、紫電改4機

    基本的に19年以降の新型機に対して一律4機を要求しており、紫電改だけ別格視されているということはないようです。
    片渕須直

  18. >ロックマンさん
    川西側の計測では時速611`だったそうですね。海軍側との速度の食い違いは何故かとも思いますね。

    >片渕須直さん
    ご教示ありがとうございます。

    ベンゼン中尉


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