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3126  ミリタリー人生相談のブラックジャックネタを見ていて思ったのですが、零戦に99式艦爆の「金星」エンジンを積むという構想はなかったのでしょうか?
 浅学な僕ですので、零戦の馬力向上を望むなら1300馬力の99式艦爆のエンジンを積めばいいんじゃないかなあ?と思ったのですが、やっぱりエンジンの直径などのの問題でだめだったのでしょうか?
 どなたかお願いします。
代々木

  1.  スミマセン、54、64型で「金星」つんでいますねf(^^:)
     ここで質問したいことは、もっと早くから、零戦32型が開発されるあたりからそういう構想は無かったのか?ということにします。
     
    代々木

  2. 御心配には及びません。零戦が制式兵器に採用される前から金星換装計画は存在します。
    BUN

  3. 零戦の設計段階で堀越氏の頭の中にはあったようです。
    ただ、金星を積む事を前提として設計した場合かなり重い機体になることが予想され、それでは当時のパイロットの好みに合わないとの判断により瑞星、そして栄を積むことになりました。
    我々の後知恵では金星搭載の方が良かったようにも感じますが、史実の物でも当初はなかなか受け入れられなかったようなので、それより重い金星ではパイロットの反発も大きかったでしょう。もっとも、史実と同じく後に真価が認められたでしょうが。
    参考(丸写しとも言う):柳田邦男著「零式戦闘機」
    Seraphic-gate

  4. 堀越さんの回想にある「金星と瑞星検討」説なんですけれど、三菱、中島に要求し様と試作発注が下される以前、昭和12年夏の計画要求書の審議段階で金星は影も形も無いんです。検討されているのは第一候補の栄と第二候補の瑞星のみ。そして零戦のディメンジョンを決定しているのは海軍側らしいことも確認できてしまいます。堀越説はこの点から見ると、極めて初期の段階で発想されたものか、少なくとも公式の検討課題として論じられた案件ではないと思えます。
    BUN

  5. 何かの本に書いてあったようですが、大戦中に一度(22型の後ぐらい)そういう話も出たそうですが、一言「忙しすぎる」とか何とかで流されたといったきじをみたことがあります。
    UBS52

  6. 実際に文書での記録が残っているのは、昭和14年後半にA6M3即ち三二型の構想が生まれ三菱側からの否定的意見他、発動機開発問題から中止となった一回目、そして昭和18年秋に中島が誉に生産を集中する為にもう一度検討され、零戦生産中止が予定された為に計画放棄された二回目、更に本格的に栄の生産を絞る段階でA6M8が計画された三回目の検討が全てではないでしょうか。
    しかし金星換装というのは別に特別な発想ではなく、多少見識のある技術者であれば金星への換装は誰もがまず考える案だったのではないかと思います。
    では本当に金星換装を実施すれば良かったかと言えば、多分どの時点で換装を行っても失敗したのではないでしょうか。金星換装案は性能、製造会社の生産能力、信頼性等がそれぞれの時期で問題となったと考えられます。
    BUN

  7. 「堀越技師による金星と瑞星検討説」の検討

    一連の堀越技師の著述を総合すると、十二試艦戦の計画は以下のような経過で進行していたとされます。

    12. 5.19 計画要求書案交付 
      6. 5 三菱で翼型の風洞実験開始
      8.  三菱側の検討結果を航本和田少佐に伝達、打ち合わせ
      8.(?) 三菱十一試艦爆試作を中止、十二試艦戦に専念
      10. 5 計画要求書交付
    13. 1.17 官民合同研究会

    計画要求案を受け三菱社内で基礎的な検討をし、それが海軍に提示され、計画要求審議会が行われ、正式な要求書となって再提示される、という構図です。
    夏の計画要求審議会の議事録ですでに金星が落ちているとしても、それ以前の段階で金星と瑞星の比較検討が行われた可能性はあり得ることだと思います。
    三菱重工が社内的にその歴史を残すために書き残した『三菱重工業株式会社製作飛行機歴史』にも、金星と瑞星の比較検討が行われたという記述があり、どうもそのこと自体は本当だったのではないかとも思えるのです。

    問題は、堀越技師の著書である光文社版『零戦・その誕生と栄光の記録』では、10月5日の要求書に「瑞星一三型か金星四六型」という項目があり、その後の基礎形検討で、堀越技師自身が発動機の絞込みを行ったと書かれていることです。この部分、ほかの資料と比べてみましょう。

    ・公文書としての『十二試艦上戦闘機計画要求書』(昭和12年交付)
      ・・・・「四.装備発動機 昭和十二年九月末迄審査終了ノ発動機」
    ・『零戦・日本海軍航空少史』(堀越二郎/奥宮正武共著・昭和28年刊)掲載の計画要求書(「抜粋(ほぼ原文のまま)」として)
      ・・・・発動機の項目なし
    ・光文社版『零戦・その誕生と栄光の記録』(堀越二郎著・昭和45年刊)掲載の計画要求書(「とくに重要なところだけ要約」として)
      ・・・・「エンジンは三菱製瑞星一三型か三菱製金星四六型を使用のこと」

    光文社版『零戦』は、一般層に向けた普及書として書かれたがために、過度にわかりやすく物事の整理をつけすぎた論述になっているのではないか。そのとき、編集上の都合でか、あるいは堀越さんご自身の記憶的混乱によるためか、瑞星と金星を比較検討した時期について、事実とは違った経過として描かれてしまったのではないか。そういう気がします。

    実際には、12年8月の航空本部における和田五郎機少佐に三菱側私案を提示した段階で、「三菱側から提示できる候補発動機としての瑞星」が示され、金星はその場でか、それ以前でかわかりませんが、「三菱の立場として私的に」ふるい落とされていたのではないかと推察いたします。


  8. 私も片さんとほぼ同意見です。12年夏の計画要求書審議以前に行われた研究会等の記録が見つかるまでは何とも言えませんが、烈風の発動機選定とほぼ同じような経緯が存在したように思えます。空廠発動機部が大きく関与したと言われる当時の発動機開発の事情から見ると、十試空冷の開発が金星で得られた成果を元にして進められている流れの中であえて金星搭載を主張できたかどうか、かなり難しいものがあったのではないかと思います。堀越さんの記述はそのような雰囲気の中で後から思えばあり得た選択肢として金星装備を語っているのかもしれません。
    BUN

  9. >8 ええ、十七試艦戦における「MK9C」と、十二試艦戦における「瑞星改」の現われ方の相似ですね。私もそう思いました。堀越さんは自社発動機そのものではなく、その開発未了な発展型を常にご自分なりの候補として持ち出されている、という気が。


  10. 当時の空技廠発動基部の方の回想では「十二試艦戦へ搭載できる発動機は”瑞星”と”金星”しかなく直径の関係で瑞星を選択した」「当時、中島では二重星形十四気筒の開発が進められていたが、十二試艦戦が全海軍注目の中で進められている時、発動機関係者としてこれを傍観するのは忍びなかった」「そして十試空冷発動機の設計に官民協力して全力で取り組むことにした」
    というのがありますが前段はともかく、後段はBUNさんが述べている「雰囲気」なのかな、と思いました。
    tackow

  11. >10
    紹介していただいた回想、ちょっと因果関係を押え直しておいた方が良いかもしれませんので、蛇足を。
    中島で試作された十試空冷600馬力に対し、これに空技廠からのテコ入れが入り、当時金星A8で行われていた新形式構造を移植し、NAMIIとして再設計に着手されるのが11年秋頃といわれています。これが「官民協力」で進められたものの正体です。この時期は本当にこれで合っているのか再検証が必要ですが、いずれにせよ十二試艦戦計画要求への着手よりも以前です。
    つまりこの発動機は、金星の技術を流用した上で金星よりも小直径であることをはじめから狙い、戦闘機などの小型高速機用として目論まれていた、そういうものをあえて設計していた、ということになります。これがのちに栄一〇型として管制することになるものです。



  12. 「完成」ですね。


  13.  ちょっと端折ってしまったんで肝心の所がぬけてしまいました・・

    >十試空冷600馬力に対し、これに空技廠からのテコ入れが入り、
     どうも、これが難渋していたので「傍観するに忍びなかった」らしいです。この辺は記憶の錯綜もあるのでしょうか。

     書かれた方は「金星」担当だったようで、十試へのテコ入れにも参画したのかと思いました。
    tackow

  14.  たくさんのご回答ありがとうございました。
    (^^)
     戦闘機造りというものはなかなか大変なものですね。
     

    代々木


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