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3555 日本の戦闘機乗りが世界の趨勢が速度重視に移っていながら運動重視の姿勢から抜け切れなかったという通説はどこから来ているのでしょうか?
ロックマン

  1. 零戦開発時に将来を見越してもう一回り大きいエンジンと機体にしようかと言う案もあったそうですが、96艦戦に慣れた搭乗員のことを考え、後のサイズにしたら、それでも「大きい」と言われたとか、隼が97戦に及ばないとして当初不採用になったとかのエピソードからでしょうか。

    ただ、性能が発揮できれば、紫電改や疾風も負けてなかったようですし、ほとんど戦争に間に合わなかったF8Fも武装を減らしてまで格闘戦性能にこだわったようなので、「速度重視」がトレンドだったとは言い切れないかもしれません。(基本的に新しいほうが大馬力で「速い」とは思いますが)
    のぶ

  2.  用兵側にもいろいろ理由があったのでしょうが、迎撃機である雷電や鍾馗に良好な運動性を求めたことの方が大きいのではないかと思います。
    T216

  3. >零戦開発時に将来を見越してもう一回り大きいエンジンと機体にしようかと言う案
    これは堀越さんが戦後、急に言い始めたことですね。しかもある版では事情は不明ですが削除されています。機体寸法は計画要求時に海軍で決定されているのです。民間会社では変更できません。研究段階でそう提案すれば良かった、という感想なのです。

    格闘戦性能重視は搭乗員だけではなく、海軍中央も格闘戦性能を重視しています。ただ、単純に旋回半径を縮小すれば良いという発想ではなかった点が「通説」とは異なります。「零戦は九六艦戦に旋回半径では劣るが旋回秒時では馬力に優る零戦が優れ、格闘戦でも劣らない」といった事は最初から研究済みで開発されており、海軍側の推算値も算出されているのです。飛ばして初めて発見されたことではありません。
    BUN

  4. 対敵重爆の高速邀撃機である震電に対して、飛行実験部の審査主務者から旋回運動性についての疑問が発せられたことなども、「抜け切れなかった」という解釈につながっていたりしますね。



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