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3579 初めて書き込みます。

世界の傑作機や秋本氏の軍用機総集を読んでいて思ったのですが、
キ12や九六式三号艦戦で試験されたイスパノ12Xcrsは、国産化が困難であるとして
生産が断念されたようですが、具体的にはどのような点が国産困難であると判断されたのでしょうか?

詳しい事を記した文献などありましたら教えて下さい。
諏拿糊麩津

  1.  イスパノスイザ(HS)12X自体のメカニズムに要因を求めるとすれば、マニフォールド末端(吸気バルブ直前)の6個(1個で2気筒を担当)の気化器と、それを一律に制御する機構が難しそうです。また、HS12系エンジンの最大の売りであるモーターカノンを「九六艦戦/九七戦の次」の戦闘機の必須装備と考えられた可変ピッチプロペラと共存させるには中空軸を介したピッチ変更機構が必要になりますが、これも当時の日本には難しかった(過去ログ1334番参照)技術です。

     しかし、実際にHS12Xの量産を妨げたのは、その基本性能だったとも考えられます。
     HS12Xは排気量27リッターで700馬力級という低ブースト・低回転エンジンです。これが日本に輸入された当時、空冷星型ながら同じ27リッター級で800〜1000馬力が見込まれる瑞星・栄という国産新世代エンジンが完成間近でした。
     たとえライセンス生産(と若干のパワーアップ)に成功して空気抵抗の少ない機体に装備したところで、同時期に投入可能になるであろう国産エンジンとの馬力の差を埋めることができた(端的に言えば零戦/一式戦以上の高性能機を作れた)とは思えません。つまり、ライセンス生産のメリットがないのです。
     他に27リッター級のエンジンには英国のマーリン(初期型1000馬力級・最終的に2000馬力級)がありますが、これはシュナイダー杯で鍛えられた高ブースト・高回転エンジン技術のたまものです。これに追いつくほどの改造を(構造的に華奢だともいわれた)HS12Xにほどこすくらいなら、自力開発したほうがマシかもしれません。
     また、後に国産化されるDB601系のように、無段変速過給器+直接燃料噴射による高空性能・始動性のよさといった性能上の際立ったメリットがHS12Xには見当たりません。
     ちなみにソ連がコピー・改良して主力エンジンのひとつとしたのは36リッター級のHS12Y(900〜1000馬力級)で、戦時の最終型クリモフM‐105は1300馬力級になっていますが、アツタ/ハ40が34リッター級で1200〜1500馬力級ですから、それほど異常なチューンアップをしたわけではなさそうです。
    Schump

  2. ビル・ガンストン氏の「航空レシプロエンジン」によれば「V.Ya.クリモフが最初に手がけた VK-100 はデッドコピーだったが、各所に改良を加え、HS12Y の低性能の原因だった回転数制限を 2400rpm から 2700rpm に引き上げて VK-105 を完成させた」とありますね。
    ささき

  3. >>1
    Schumpさん、回答ありがとうございます。納得しました。
    これまでキ12試作戦闘機が登場した同時期の機体に搭載されている「寿」エンジンや「ハ9」とばかり比較して考えていたので、
    生産が開始されるであろう時期にはすでに時代遅れになっている可能性をすっかり失念していました。
    寿よりも高出力でハ9よりも半分以上軽い、良いエンジンなのにどうして採用しなかったんだろうか、とばかり。
    ライセンス生産の開始される時差を考えれば確かに12Xレベルではきついものがありますね。
    しかしモーターカノンは惜しかった。
    もしかしたら海軍より先に陸軍が大砲積んだ戦闘機就役させてたのかもしれないのに。

    >>2
    ささきさん、回答ありがとうございます。
    クリモフエンジンの性能強化はそのような形で行なわれていたのですか。
    そう言えばソヴィエトはハイオク燃料供給されてましたっけ?
    この時点でアツタにはどうにも勝ち目がない気もします。

    モーターカノンといえばDBもモーターカノン対応ですね。これも選定要件の一つだったりするのでしょうか?
    すでに陸海ともに12.7mm砲、20mm砲を開発中だからあんまり考慮してない気もする(モーターカノン試作機もないし)んですけど、どうでしょう?
    諏拿糊麩津

  4. モーターカノンの阻害要因はプロペラだったと思います。
    結局、中空軸を貫通して装備できる恒速ペラを事実上作れなかったわけですから。

    まなかじ

  5. 1.と4.を補足しますと、当時日本で主流だったハミルトン・スタンダード社系列の油圧プロペラピッチ製可変機構は、エンジン本体からプロペラシャフトの中を通して作動用のオイルを送る必要がありましたので、プロペラシャフトを中空に出来ませんでした。ハ40や熱田のプロペラシャフトを中空にしなかった大きな要員はここにあります。
    胃袋3分の1

  6. う、一部文章訂正(^^;;;;;
    「油圧プロペラピッチ製可変機構」→「油圧式プロペラピッチ可変機構」

    胃袋3分の1

  7. >>4 まなかじさん、回答ありがとうございます。
       戦中に実用化されたVDMやラチエの電動式恒速ペラもやはり中空軸ではなかったのでしょうか?
    >>5 胃袋3分の1さん、回答ありがとうございます。
       ハミルトン式のプロペラの作動油はシャフトを通じて送られていたのですか。
       そういえば、回転軸先端に油圧ピストンがあるのはそのせいですかね?。

    モーターカノンの阻害要因がプロペラにあることは理解したのですが、やはり気になってしまいます。
    こちらの2645番によると、量産の立ち上げが遅れたものの、VDM式プロペラは14年には特許実施権を取得していたらしいですね。
       hhttp://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002645.html
    ハミルトン式プロペラの製造権が降りなかった場合の保険という意味合いが強いのでしょうが、DB601の国産機と組み合わせて、
    モーターカノン装備可能なプロペラとして国産を狙ったということは考えられないのでしょうか。
    憶測でしかないのですが、その後大口径砲の装備に力を注ぐ陸海軍が、
    キ12試作戦闘機や九六式三号艦戦の試験だけで、モーターカノンを諦めたとは思えないんですよね。
    すでに翼内に装備できるような大口径砲の開発が進んでいたから優先順位は低いにしても、
    命中率の高い胴体に大口径砲を搭載できるモーターカノンにもそれなりの期待をしていたのではないかと思うのです。
    諏拿糊麩津

  8.  12試艦戦…のちの「零戦」についての打ち合わせ議事録には、用兵側から「早くこのカノンを使用したい。モーターカノンも相当研究する要あり」との意見が記されており、並々ならぬ興味があることが伺えます(学研「零式戦闘機2」参照)。

     また17試艦戦…のちの「烈風」計画に先立って作成された「試作機空技廠案性能推算」には、武装について「20ミリ固定2+7ミリ7固定2、もしくは20ミリ固定2+モーターカノン1、13ミリ固定2」と記されており、用兵側のモーターカノンに対する興味が未だ残っていることを窺わせます(学研「試作戦闘機」参照)。

     しかし意欲とは裏腹に、モーターカノンに適したエンジン、プロペラ、機関砲すべての入手には問題が残っていました。機関砲は海軍の場合エリコン FFS(いわゆる2号銃 FFL より銃身の長い高初速型)を使用する予定だったと思われますが、FFS は FF/FFL と弾薬も部品も異なり、それらを量産しようとした形跡が全く伺えません(ライセンスを買っていたかどうかも定かではない)。
     また仮に FFS を生産したとしても、銃身に巻き付けたリコイル・スプリングとボルトが太すぎて DB600 系のシリンダ間には通りませんでした(イスパノ系はシリンダ角 45 度だが DB は 60 度で狭い)。ドイツでは同じ問題に直面し Bf109C/D の一部に MG-FF をモーターカノン装備した例がありますが、リコイルスプリングがエンジンの熱に晒される為か作動不良が頻発したと伝えられます。

     陸軍に至っては何をかいわんや、モーターカノンの可能性以前に 20mm 級航空機銃の機種決定すら海軍に遅れを取り、陸戦火器の改造(97 式自動砲→ホ-1/3)や MG151/20 の輸入で急場を凌ぐ始末でした。それでも「和製エアラコブラ」の川崎キ-88 を計画しているところを見ると、やはり軸内砲には魅力を感じていたようです。
    ささき

  9. 疾風のスピナーを外した様子を見るとわかりますが、日楽(現ヤマハ)ラチエはフランスでは爆撃機用のタイプでMS406やD520が装備していたものとは違い、基本作動機構は同じですが作動トレーンが中央にあり、モーターカノンは置けません。

    キ−88のような軸内砲装備計画もありますし、VDMはやればできたはずなのですが、銀河や彗星のものを見る限り(雷電や四式重爆、一式陸攻にも見られるように)、住友で作っていたVDMのプロペラハブはプロペラ軸貫通を準備していないようです。

    ラチエにしろVDMにしろ、ピッチ角変更角度の大きいプロペラを得るというのがまず第一にあったのだと思います。
    まなかじ

  10. >>8 ささきさん、再度の回答ありがとうございました。意欲はあったのだけれど、実態が追いつかなかった、ということですね。
    モーターカノン対応の国産機銃もなかったようですし、プロペラだけでなく
    さまざまな要因が重なって採用されずに終わったんでしょうね。

    >>9 まなかじさん、再度の回答ありがとうございました。なるほど、ラチエは本国のものとは違っていたのですか。
    ラチエ=モーターカノン対応、とばかり思っていました。貴重な情報ありがとうございます。
    VDMにしても、それが可能だったけどなされなかったのは、プロペラ以外にもモーターカノンを実現する際の阻害要因があり、それを克服するには至らなかったと言うことなのでしょうね。
    意欲はあったんでしょうけれど、やはり当時はまだまだ先進諸国に追いつけない分野があったと言うことかもしれませんね。

    回答戴いたみなさま、大変ありがとうございました。これで大分すっきりしました。
    諏拿糊麩津


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