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3605 すみません、高校のときから考えていた疑問があります。
一式陸攻の7・7ミリ機銃ってありますよね。
あれって、役に立ったのでしょうか。
ワンショットライターと呼ばれる陸攻が、アメリカ軍戦闘機の12・7ミリ機銃の斉射を浴びると、とても太刀打ちできないと思うのですが。
アメリカの戦闘機は、だいたい12・7ミリを、4丁以上搭載していたわけだし。
弘田

  1.  まあ、出現当初の双発爆撃機としては、決して弱くはなく(というか重武装)ですが、後の型では側面や背面のは20mmに変更してますから、無いよりはマシでも力不足ではあったと思われます。
    SUDO

  2.  哨戒飛行を除くと陸攻が単独で飛行することはあまり無いのではないでしょうか。
     一式陸攻一一型の場合、7.7o×4(機首、胴体上方、胴体側面×2)、20o×1(尾部)があります。
     一個中隊(9機)の場合、合計7.7o×36、20o×9がある訳です。
     射角の都合でこの全てが敵機に発砲できるわけではありませんが、この弾幕射撃の中に突入するのはかなりの度胸が必要でしょう(爆撃機の防御機銃に怯んで迎撃機が攻撃を早めに切り上げるのはよくあることです)。
     また1942年2月20日にラバウルの四空に所属する一式陸攻一一型17機が戦闘機の援護なしでレキシントンを主力とする機動部隊に雷撃を仕掛けた際、迎撃したF4F 14機中2機撃墜、7機に被弾させていますので、不十分かも知れませんが全く役に立たなかった訳でもないと思います(陸攻側の被害は未帰還13機、不時着2機)。

     また一式陸攻は一一型の初期型を除くと燃料タンクに消火装置や不完全ながら防弾ゴムを装備していましたので、当たり所によりますが撃墜するにはそれなりに長時間射弾を送る必要があったと思われます。
     しかし、一式陸攻は地上目標爆撃時は8000m以上の高々度で進入して迎撃機を避けるのを常としていました(九六式陸攻装備部隊の搭乗員達は高空を高速で飛ぶ一式陸攻を羨ましく感じていたそうです)ので、低空を飛ぶ雷撃でなければ一式陸攻に長時間攻撃するのは困難であったと思われます。
    T216

  3.  ノモンハンや中国で戦った陸軍の 97 軽爆や 97 重爆は 12〜16 機の密集編隊を採用し、また旋回銃の弾倉に曳光弾・焼夷弾を多めに装填して I-15 などの敵機を「寄せ付けなかった」という回想があります。この頃は戦闘機と爆撃機の速度差が少なく(場合によっては爆撃機側のほうが速い)、戦闘機側の武装も 7.7mm 2〜4 挺で、射撃距離に入ろうとよたよた近づいてくる敵機に向け数十挺の火力を有効に集中できたのでしょう。
     しかしより高速・重武装化した敵機が出現すると被害が増大し「編隊火網の有効性」は過去の話になってしまいました。96 陸攻が背中に 20mm を載せたり、1 式陸攻や百式重爆が当初から 20mm 機銃搭載を要求されているのはそういった戦訓を反映しているものと思います。

     そこで一気に 7.7mm を全廃して 12.7mm や 20mm 多数装備に行けなかった事には色々な事情があると思います。発動機の出力が足りなくて防御武装に重量を割けないとか、適切な機銃がまだ量産体制に入っていないとか、機銃だけあっても動力銃架が実用化されていないなど…。

     もっともこれは日本に限ったことではなく、イギリスは大戦末期まで 7.7mm 旋回銃で通していますし、ドイツも 7.92mm 単装を多数+13〜20mm の機関砲を 1〜2 挺という構成を取っています。12.7mm 旋回銃を 8〜10 挺も装備した B-25 や B-26 はむしろ異例といえる重武装機でした。
    ささき

  4.  敵PB4Y(B-24?)と空戦を交えた1式陸攻搭乗員の手記を見ると、「7.7mmをいくら当てても蛙の顔に小便だ」という記述があったりします
    セミララ

  5. 弘田です。ありがとうございます。勉強になりました。

    ところで、日本機って、連装機銃がないですよね。
    資料によると、99式軽爆撃機が連装機銃を装備していたというもの
    がありますが。
    イギリスなんて、戦闘機に4連装機銃を装備していたけれど。
    日本は、連装機銃を作れなかったのでしょうか。
    連装機銃を作るのは、難しいのでしょうか。


    弘田

  6. 威力等ですが、一般的な7.7mmとブローニング12.7mmでは弾頭の持つエネルギーが約6倍ほど違います。日本海軍は、12.7mmの有用性を認めたものの採用(コピー)するまでに時間を要したため、当面の搭載銃は7.7mmもしくはエリコン20mmしかありませんでした。日本海軍爆撃機は自機の射界制限のある中射撃し、ようやく7.7mmが敵機に当たっても威力は小さく、特に、戦争後半では防弾性能の向上により7.7mmはほとんど効果がない状況にあります。20mmは発射速度・初速が遅く、かつ搭載弾数が少ないため、命中がきわめて困難な武器でした。しかも、日本機は各銃座あたり銃を一丁しか搭載しておりません。一方、敵の戦闘機は12.7mm4〜8丁装備であり、日本の防弾装備は12.7mmの威力にほとんどの役に立たない性能でありました。かつ、相手は小型で機動性が高い上に、我は機動性が劣り目標サイズが大きいため、相互の命中率は著しく違う事でしょう。総合的に考えれば、7.7mmは、おどかし程度かもしれません。しかしながら、航空機は戦車ではありません。母基地から離れ、はるか太平洋上空での戦いにおいて、たとえ、7.7mm機銃弾1発でもエンジン等の防弾のない重要部分に浴びれば、そのまま生死に直結する事態を生起させるのです。7.7mmも米軍の搭乗員にとって脅威であることに違いはありません。したがって、日本軍の7.7mmは十分役に立ったといってよいでしょう。
    つっち

  7. >5. 日本陸軍の 89 式旋回機銃は連装でした。これは低めの発射速度(750 発/分)をカバーするためだったようです。

     ルイスの連装旋回機銃は第一次大戦から存在します。ただルイスは皿型弾倉のため両銃を離して装備する必要があり、連装化すると銃架が大きくなって風防内に納まりにくくなり、高速気流のなかで振り回すのも困難になります。開放式座席だった一次大戦時はともかく、飛行機が高速化するとこれらが問題となって人力旋回銃は単装が主流となっていったようです。

     コンパクトな連装機銃を作るためには、左右から給弾可能なベルト式の機銃が必要でした。アメリカの 7.62mm やイギリスの 7.7mm はこの条件を満たしていますが、少々重い(約 10Kg)ので人力銃架で連装にした例は少ないです。アメリカではスペリー、イギリスではボールトン・ポウルなどが優れた動力銃座を作っていました。

    。ドイツでは MG15 の後継として MG81 を開発しています。MG81 軽量化が図られており(約 8Kg)、これを連装に束ねたものを MG81Z と呼んでいました。Bf110 後期型の後席などに搭載されています。

     日本における航空機銃はこれらにくらべ一世代遅れていた感は否めません。陸軍、海軍とも 7.7mm の威力不足は感じていましたが、その後継として採用したのはラインメタル MG15(陸軍 98 式、海軍 1 式)でした。発射速度が 1000 発/分と高いことが評価されたようですが、これもすぐに威力不足となります。日本では 7.7mm を多連装化する方向より、むしろ軽量な 13mm 級機銃(陸軍 1 式 12.7mm や海軍 2 式 13mm)で置き変える方向に向かったようです。

    ささき

  8. >5

    イギリスの戦闘機が4連装の旋回機銃を積んでいたとは初耳です。
    どのようなものだったのですか。
    倉本

  9. >8
    有名ですが、こういうのです。
    http://www.warbirds.jp/data/raf/htm/roc.htm
    kazz

  10. >8
    kazzさんが既に書かれてますが、こんなものです。

    http://www.raf.mod.uk/bob1940/defiant.html
    http://homepage1.nifty.com/milk32plus/RAF_MUSEUM_HENDON/BOULTON_PAUL_DEFIANT_MK.II/
    通りすがり


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