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3734 曖昧な私の記憶での質問で申し訳ないですが、終戦後日本機は連絡飛行等を許す機体は全面白地で日の丸部分に緑十字を書くようにと記憶があるのですが、靖国神社に展示されている零52機体の元は黒十字でした。
沖縄で撮影された一式陸攻なども黒十字ですので緑十字という私の記憶は間違いなのでしょうか?
それとも十字の色指定は明確な規定はなかったのでしょうか?
宜しくお願いします。
なお靖国の4240(一部部品4241)の経歴を調べているのですが戦後の経緯はほぼ判ったのですが当時の経緯はラバウルで白塗装状態で放置された事ぐらいしか判りません、もし情報をお持ちの方は教えて頂ければ幸いです。
A6M232

  1. マニラ派遣軍使の使用機について連合軍側からの指令は、明確に「右飛行機全体は白色に塗られ飛行機の胴体両側並に各翼上下部に五百「ヤード」より容易に認識せらる緑色の十字を附するものとす」としています。
    緑十字はこれ以前から安導権を示す標識として認められていますし、そのこと自体は間違いないと思います。
    ただ、たしかに伊江島で撮られたカラー写真では十字マークは真っ黒に写ってますね。


  2. 片さん何時も素早い回答ありがとうございます。
    500ヤードから見える基準が零戦では18pから20p幅の黒十字なのですね。500ヤードまでは知りませんでしたので勉強なります。
    私はあの黒十字一式陸攻を見るまではラバウルには緑塗料が残っていなかったのかな?と素人考えしてしまったのですが、内地で塗装された物まで黒十字なので何か規定があったのかなと考えてしまったのです。
    ラバウルでは白地十字表記の零戦が3機並んだ写真がありますのでこの中の1機が4240ではと思うのですが想像の域を超えません。
    他の物はオーストラリア等に持って行かれたと聞いてますので残置(放棄)した4240情報がそちらにあれば良いのですが・・・難しいですね。
    A6M232

  3. ラバウルに終戦まで残っていた五二型の2機までは3479号と4043号と思い出しました。もう一機が何号機なのだか。



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