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266 第2次世界大戦時の日本の軍艦の装甲や砲弾の性能(材質・設計)が連合軍のそれより劣っているとの記述を見かけることがあるのですが、具体的にはどのような点が劣っているのでしょうか

  1. 寡聞にして各国の使用した装甲材がどんなだったのか知らないので
    一般的なことしか言えないのですが
    基礎的工業能力で日本が見劣りしていたのは事実なので
    他国のそれよりも劣るものだった可能性は有ると思います


    また砲弾ですが
    材質が悪ければ、当然ですが徹甲弾なんかでは差が生まれると思います
    また91式徹甲弾は水中弾道重視で開発されていますから
    純粋な対装甲貫徹能力では劣るところが有るのかもしれませんが
    構造は普通のAPCBCで、特別に設計差が有るとは思えません

    日本が決定的に劣っていたのは信管でしょう
    不発弾や盲弾の発生率も高かったようですし、VTが無かった

    SUDO

  2. 戦前に強靱な装甲板を造るにはニッケルが不可欠でした。しかし、日本ではニッケルは常に不足していた、というか、世界的に戦略物資だった為に十分に手に入らず、銅等で代用した装甲板用の合金を使用していました。秘密兵器の如く言われることもある、軍艦の装甲で有名なCNC鋼板はこうした代用品のひとつで、続けて開発されたCNC1、CNC2等それぞれに目標とした材質より少しずつ性能が劣っていました。また、ニッケルが無い、ということは耐熱合金も造りにくい、ということですから、日本に排気タービンが発達しなかったのも当然のことでしょう。
    ちなみに戦後は各国とも大戦中のニッケル不足を経験した為にボロン等を利用することで性能的にニッケルを不用としましたが、当然アメリカは戦時中にこの技術を実用化していました。無ニッケルの代用鋼で苦労していたのは独と日本だけでした。砲弾については中小口径徹甲弾の設計等が対戦車戦の経験の少なさから遅れていましたが、この件は他の方に御願いしたいですね。
    BUN

  3. 戦艦「金剛」級の大改装の時、国産の二番艦以降は簡単に装甲板に穴があいたのに、イギリス製の一番艦はドリルの歯が立たなかった、なんて言うのはその一つの証拠でしょうね。それと切削機など高品質の材質を使用した製品を作るのに不可欠な機械がほとんど国産化できなかったことも戦時中に品質低下が激しかった理由では。



  4.  日本製の鋼鉄は質が悪いこともあり、欧米列強の使用した同口径の徹甲弾に比べて1〜2割貫徹能力が低かったのは事実な様で、
    サヴォ島夜戦で衣笠の8in徹甲弾が米軽巡ボイスの砲塔装甲を打ち抜けなかった、チハ車の57mm徹甲弾がM3に命中して砕け散った
    というのが実例になると思います。

    大塚好古

  5. 「戦艦大和の建造」(御田重宝)によると、大和には日本では当時最新鋭の冶金技術が使われていたとあるが他国の冶金技術との比較は書かれていない。大和クラスは特別だったのでしょうか?
    溶接関係の解説書を見たら、当時の日本の溶接技術が米独に比べ遅れていたと書かれています。戦前の溶接技術では冬の冷たい海で船の溶接個所が破断する事故が度々発生しており、日本では第四艦隊事件後、溶接の導入に慎重になり溶接技術があまり進展しなかったのに比べ、アメリカは戦時標準輸送船(リバティ船)で同様な事故が何度か発生しても、溶接を積極的に用いると共に技術向上を図っていたとか。しかし、戦艦大和に関する下のHPによると、溶接が艦船の主要構造に使われなくなった原因として、溶接ができないデュコール材が用いられるようになったことも一因とのこと。私も工学関係に弱いのでよくわかりません。(回答になっていない)
    http://mars.agm.hokudai.ac.jp/~kohta/bb-yamato/bb-yamato-vsl.html

    アリエフ

  6. ↑過去ログ33にもありますが,デュコール材は溶接自体はできるようです。ただ軟鋼と違って高張力鋼の類は溶接部の強度が母材より低下しやすいらしく,当時の日本の技術では適切な溶接ができなかったのかも知れません。デュコール材が溶接できないというのは福井静夫著「日本の軍艦」にも書いてありましたが,この本は不正確な部分もあるので鵜呑みにしない方が良いと思います。
    isi

  7. 構造材はともかく、問題の装甲板、たとえば水線装甲は各国とも溶接していたのですか?
    また、海軍の砲弾の材質ですが、諸外国と同じく、ニッケルクロムモリブデン鋼でしたので材質的には劣っていないと思われます。戦時中に大量生産される中口径以下の砲弾はわかりませんが、主力艦の砲弾については材質に問題なかったと思われます。
    更につけ加えると、装甲の材質についてですが、ハーベイ鋼、クルップ鋼等と呼ばれる装甲用の鋼鉄はそれぞれ、ニッケル鋼、それを改良したニッケルクロム鋼で、それ以前の装甲とは材質的に異なるために同じ強度の装甲板の厚さを減じることが出来たのです。高い技術で丁寧に精度良く造ったから強い、という問題ではなく、材質そのものが違うために強力だった訳です。ハーベイ鋼の登場した1880年代から約半世紀がニッケル装甲の時代=ニッケルが戦略物資であった時代ということになります。
    BUN

  8. 大和についてですが、装甲に使用された鋼板は「より耐弾力を増すために」浸炭処理による表面硬化処理をやめたとされていますが、実態は、大和型戦艦を連続して建造するために長期間を要する浸炭処理装甲の製造が間に合わず、焼き入れによる硬化処理を採用したとされています。また、有名なCNC鋼板は薄い装甲専用なので主装甲には使用されていません。
    BUN

  9.  先に書き込んだボイスが8in砲弾を弾き返した件を再度洗い直してみました。
    幸いアメリカの艦船局がこの件に関する報告書を残してますので、内容は
    掴むことが出来ました。

     アメリカの艦船局がエスペランス岬で被弾したボイス(CL-47)について注目
    したのは、サヴォ島で沈没したアストリア(CA-34)が同じ距離(5、000yds.)で同じ
    日本の8in砲弾の命中弾を受けた結果B砲塔の8in装甲を打ち抜かれて同砲塔を
    破壊されたのに対し、ボイスはA砲塔の6in装甲によって破壊を免れた点にありました。

     これについてアメリカの艦船局は調査を行い、「ボイスは幸運であった」という
    コメントとともに以下のような結果を報告しています:

    ◯ 両者の受けた砲弾の形状が違う

    エスペランス岬でボイスがA砲塔前面に受けた日本の8in砲弾は特殊な形状のもので、
    砲弾先端が平坦で風帽が付いているタイプのものであったが、この型式の砲弾は口径の
    半分以下の厚さの装甲板のみ有効である。これに対しアストリアが受けたのはより
    通常の形状の徹甲弾である。

     これに加えて

     アストリアの砲塔前面装甲板はクラスBの装甲板であり、これは表面で砲弾を
    破砕するようには出来ていない。これに対しボイスの装甲板はクラスAであった。

     という項目が付記されています。

     これからいくと「日本の砲弾の質が悪くてボイスの装甲板を打ち抜けなかった」
    のではなくて、「あたったタマの形状が悪くて装甲板を打ち抜けなかった」という
    事になりますので、前回の発言を撤回の上訂正させていただきます。
    大塚好古

  10. →9.これはよく(?)、水中弾効果を重視した91式徹甲弾は、貫通力が劣っていたのではないか?と推測する根拠の一つに挙げられていますね。
    (N)

  11. 疑問が生まれたのですが
    弾いたり爆発した砲弾から、どうやって形状を確認したんでしょう?
    平頭弾が口径の半分にしか有効でないとの根拠も不明です

    それと、便乗質問ですが
    クラスAとかBって装甲は、なにがどういう風になってるんでしょう
    表面硬化処理とかの違いでしょうか?

    SUDO

  12. それは命中した際に、半田で固定されていた被帽が破壊されずに残ってしまった、ということなのでしょうか?被帽はこういった場合に弾頭が滑らずに装甲を貫く為に存在するはずなんでしょうが、何だかよくわからない話ですね。
    BUN

  13.  装甲板は、ねじ止めです。

     大和に採用された滲炭処理を行わないVH鋼が工期短縮に役立ったというのは知っていましたが、対弾性も滲炭処理をしたVC鋼より優れているということで採用されたのだと思ってました。
    ただ、VC鋼といっても1913年完成の金剛をベースにして考えていたとすると、その後の他国の技術開発レベルより遅れていた可能性はあります。
    ちなみにNVNC鋼は1926年、CNC鋼は1931年、VH鋼は1937年に開発されています。

     91式徹甲弾の被帽は、水中弾の効果には適していたが、通常の弾着時の滑り止め用途には適していなかったということではないでしょうか?
    うがんこ

  14.  クラスAの装甲板は徹甲弾破砕用の表面硬化処理がされている装甲板で、
    クラスBはそれがなされていない装甲板のようです。

     なお、平頭弾の貫徹力が劣る、と米艦船局が下した根拠は不明ですが、
    米海軍も1920〜40年代にかけて各種砲弾の研究を重ねていたのは事実ですので、
    その中で同種の弾が試作され、その結果に基づいたのではないかと推測します。

     なお、日本軍の平頭徹甲弾はエスペランス岬で被弾したボイスが持ち帰り、
    その8in弾の分析がなされたという記述が確かモリソン戦史のエスペランス海戦の
    くだりにあったと記憶しますが、定かではありません(この戦いでボイスは
    水中弾により軽微な損傷を負ってますので、その弾が分析されたのかも知れません)。
    大塚好古


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