QQCCMMVVGGTT
415 マリアナ沖海戦で米艦載機がたかだか400`程度の距離で攻撃を仕掛けたぐらいで、大量(80機)の不時着機をだしていますが、カタログデータ(爆雷装時で1800`)からみて不可解です。理由をご存知のかた教えてください。
hiro

  1.  着艦したのが夜間だからです。あの時米空母は照明弾を打ち上げて自艦の位置を示し、探照灯を付けて
    飛行甲板を照らすなどの各種着艦支援策を行っていますが、夜間着艦の経験が殆ど無いパイロットが
    多かったため、事故により大量の空母機が不時着する羽目となりました。
    大塚好古

  2. ↑の理由が大きいのですが(回収に2時間以上かかった筈)。確か
    風向きの関係上、着艦の為に米空母が非敵方向に走ったというのも
    理由の一因だと思います。
    takukou

  3. ↑加えて、当時の米軍パイロットの腕が対したことがなかったことも大きいんでは?ほとんど丸裸の小沢機動部隊を攻撃して撃沈した空母が二隻(?)だった事からもうかがえると思います。また大戦中を通しての米軍の航空機の損失の過半数が事故による損失だったとか。
    taka

  4. 搭乗員の技量に帰結する考察は危うい物があります。そもそも200浬の母艦機の攻撃は「超長距離」攻撃だということを常識として持つべきでしょう。また、質問文中のカタログデータの航続距離との差ですが、データそのものの再検討との必要と、実戦での航続距離短縮の例として、日本側ですが沖縄戦時の飛燕の例(往復できるはずなのに出来ない)があります。
    BUN

  5. 3.はちょっと無理があります。事故損失が過半数というのは別に不思議な事ではありません。そんなもんです。また飛行機壊すのはこの時期では日本軍の方が数段上手です。
    舞弥

  6. あと、カタログデータは巡行速度による最大距離ですよね。
    ただ単に往復するだけでなくて、攻撃をかけるわけですから
    燃料バカぐいの最大出力を相当時間使っているはずなので、
    カタログデータの距離は飛べないのでは無いでしょうか。
    tow

  7. 便乗です。
    大戦中のレシプロ機では実用燃費というか実用航続距離はカタログ上での
    航続距離のどの程度なんでしょうか?
    零戦21型だとラバウル〜ガ島上空が最大と思われるのですが(約2000
    q?)、カタログ上では増槽付きで約3500q。即ち、60〜70%位
    だと思うのですが、他の日本機や米軍機もこんなもんなのでしょうか?
    takukou

  8. 艦載機の発着事故に関しては、日米の着艦管制のシステムの相違から、
    アメリカ機の事故発生率がかなり高かったという話は聞いたことがあります。
    日本は搭乗員個人の技量に頼ったのに対し、アメリカは管制官の技量に負ったせいで。
    まあ、陸上機強引に改造したイギリスは論外として(車輪の幅が狭すぎてよくころんだらしい)。
    勝井

  9. >7.零戦の行動半径
     開戦直後のマニラ攻撃に先立ち、第3航空隊で低燃費飛行のテストを行った結果が、「20分の空戦を含んで1200カイリ(約2200km)」だそうです。
     これに目処が立たなかったらマニラ周辺(片道約930km)へは中攻隊の単身赴任になるはずだった(^^;;
     この時は増漕付きなのかがはっきりしませんが、まあ参考にはなるでしょう。
    tow

  10. >7.零戦の行動半径
     航空機の実用的な航続距離は、機体の性能よりもむしろ乗員の長距離飛行技量(偏流測定のやり方や編隊飛行時の燃料消費を押さえる方法とか)と航法装備(飛行艇などは天測用装備も有する)によって限定されると思います。つまるところ運用法自体の問題であって、高性能の機体ができたから急に遠くまで飛べるようになる、というものではないのでは。
    sharman


Back