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421 ドレッドノート以来,初期のド級艦のほとんどは主砲塔の背負い式配置を採用せず,採用後もしばらくは首尾線方向への発砲は一基のみと制限されていました。
爆風の問題故,というのは諸文献でわかりますが,
@ いつ頃から全砲での斉射が解禁されたのでしょうか?
A 爆風対策として,どのような処置がとられたのでしょうか?
B 初期,唯一背負い式配置を採用していたアメリカの事情はどのようなものだったのでしょうか?

ずいぶんと欲張りな質問になってしまいましたが,よろしくお願いします。
勝井

  1. 斉射・禁じられていません。角度に制限があっただけです。一斉撃ち方は古くからあるのですが、接近戦でのダメージ集中を意図していたりとかで、公算射撃とは目的が違っていたのです。

    爆風対策・艦載艇などの収容場所にスクリーン(衝立)を立てて衝撃を緩和する、破壊されやすいものを射線に置かない、危ない場所に人員を配置しない、などなど、比較的消極的な対処ですね。なにせ、主目的が「撃つ」ことですから。黒色火薬時代の大口径砲による爆風など、敵弾の命中より被害が大きかったなんてほどで、手を焼いていたようです。

    アメリカでは、砲塔観測孔の位置がイギリスと違っていたので、割合影響が小さかったと言われています。定義は難しいのですが、擬似的な背負い式配置は、19世紀末期に、フランス、ドイツなどの戦艦にも見られます。
    志郎

  2. 記憶モードですが
    この時代の英国戦艦は主砲塔上部に照準だか観測だかの機材が載ってます
    A砲塔の機材はB砲塔の砲口近辺になるので、モロに叩かれるんです
    だから一斉撃ち方が出来ないのではなくて、前にはA砲塔しか使えないんです
    これは、この砲塔上部の機材を移設することで解決します
    他国の場合、こういった配置ではなかったので問題は無かったようです

    SUDO

  3. 「世界の艦船」あたりだと、結構他国も首尾線方向への発砲は初期は1砲塔のみだったと思うのですが(まあ日本の事情は、ニアリイコールイギリス、てことだが)。というかそもそも背負い式にする度胸なかなかありませんでしたよね。
    その辺いかがお考えですか?BUN師匠?
    勝井

  4. 日本のド級艦はもっと勇気があり、首尾線方向への射撃はより強力な長砲身の砲で行うという、狭いド級艦界をはみ出す如き最大の勇気を見せていますから、列強に対して何も恥じるところはありません。
    BUN

  5. というか、中間砲と主砲の口径を同一にしてしまった世界最大最強の準弩級艦という話もありますが(河内・摂津)
    まなかじ

  6. 私はかねてより、世界最強の準弩級戦艦だと思ってましたが
    もしかすると、薩摩・安芸の方が火力大きいのでは無いかと
    最近では思うようになってます(;_;)

    SUDO

  7. 修行が足りぬのう。帝国海軍の1910年代の新造艦が準ド級艦の訳が無かろう。
    あれは、ド級艦の枠をもう一度別の方へ「超えた」船なのじゃ。コオロギよ。わかるか?
    BUN

  8. なるほど、超弩級戦艦だったんですね(^^;;

    SUDO

  9. そ、そおか。
    あれは、つまり、原則砲塔が主砲で、首尾線砲塔のは超主砲なのですね。
    まなかじ

  10. そおじゃ。「世界の艦船」の解説を信じ、レトリックを恥ずかしげも無くそのまま引用してばかりいると、国軍の精華たる主力艦をいたずらに貶めてしまう、ということじゃな。
    BUN

  11. いや全くそのとおり!と言いたいのだが、ans.qの性格からいって、教育上余り良くないのでは?
    舞弥


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