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438 スリガオ海峡の夜戦で沈没した「山城」「扶桑」は一般に総員戦死とされていますが、実際には若干の生存者があるときいています。
「山城」については新人物往来社刊行の「最後の巡洋艦・矢矧」において、
その最後の状況が簡単に触れられて、生存者についても「准士官以上二名、下士官兵八名」とありますが、「扶桑」のほうはどうなんでしょうか?
だいぶまえになにかの歴史雑誌でこちらも生存者が三名ほどいると読んだような、頼りない記憶が残っているのですが、参考資料などございましたら教えてください。
むらじ

  1. スリガオ海峡での沈没艦の生存者は、あの様な戦だったので不明な
    部分が多いのですが、当時「山城」主計長の江崎大尉によれば生存
    者の数は山城10名、扶桑10名 駆逐艦3隻計40数名であると
    されます。
    山城の生存者の内訳は書かれている通りだと思います。

    いずれ、かなりの生存者がおった様なのですが、米駆逐艦の救助を
    拒否したり、島に泳ぎ着いても現地人に殺害されたりで日本に生還
    された方は僅かな人数になってしまった様ですね。

    takukou

  2. ↑補足 米駆逐艦「クラックストン」は早朝、漂流中の日本側将兵約150人
    を発見しましたが、オンテンドルフは「少人数を救助すれば(尋問しての情報
    の収集という観点から)充分だろう」と鬼のような命令を下し、真面目に救助
    活動を実施しなかった節もあります。
    takukou

  3. かなりの将兵が救助を拒んで沈んでいったとか、
    陸地に泳ぎ着いた乗組員が多数、現地人に殺害されたとかいう話は
    かの「第二次世界大戦ブックス」などでも知っていましたが、
    かのにっくきオルデンドルフによる鬼のような救助活動秘話には思わず涙!
    江崎大尉の手記や、米軍側資料の出所などお教え頂ければ・・・
    むらじ

  4. 上記の出所は「連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記」(時事通信社)
    です。一昨日、グランデに行ったら並んでたので未だ絶版では無い
    筈です。所々些細な?もありますが、非常に良い資料だと思います。
    例の「反転」問題もこの本で殆どケリが付いたのではないでしょう
    か?
    オンテンドルフの件もその様な命令を下したのは事実らしいですが
    江崎大尉は「救助されるな」って周りの将兵に叫んだらしいし。
    まぁ、どっちもどっち、という事かなぁ?
    takukou


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