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478 第1次世界大戦中に日本からフランスに輸出された駆逐艦があるそうですが、他に日本から外国に輸出された艦船はあるのでしょうか?
弥空

  1.  タイ海軍向けのスリ・アユタヤ型海防艦(2)、タチン型スループ(2)、シンサムダル型潜水艦(4)、
    中国海軍向けのニンハイ型軽巡洋艦(2)、あと満州国海軍の駆逐艦ハイ・ウェイ(旧樫)と砲艦(3?)ぐらいでは
    なかったかと…。なお、()内の数値は同型艦数です。
    大塚好古

  2. ↑上の誤記修正。満州国海軍の砲艦は270t型1、20t型2でした。
    大塚好古

  3.  元駆逐艦樫は満州国への無償譲渡です。1937年9月に譲渡され、ハイ・ウェイ(海威と書く)と名を改め、満州国海上警察隊の警備船として運用されました。開戦と同時に日本に返還され、日本海軍が運用しました。詳細は不明ですが、日本近海の船団護衛に付いていたのではないかと私は考えています。(詳しくは省略。)1944年10月、台湾空襲に向かう米第38任務部隊が沖縄を空襲した際に、潜水母艦迅鯨と共に撃沈されました。

     日本が輸出した艦船は結構あります。世界の艦船1982年11月号(第314集)に特集が組んであります。これによりますと、輸出実績は

    ・1902年、当時はアメリカ統治下にあったフィリピン政府にロンブロン級砲艦(排水量350トン)2隻
    ・1905〜1908年、清に江元(キャン・チュン)級砲艦(525トン)4隻、楚泰(チュウ・チェン)級砲艦(740トン)6隻、湖鴨(フ・ペン)級水雷艇(二等水雷艇六十七号級と同型、89トン)4隻
    ・1908〜1913年、シャム王国(タイ)にNo.1級水雷艇(二等水雷艇六十七号級と同型、89トン)4隻、スアルタユンチョン級駆逐艦(改春雨級と同型、375トン)2隻
    ・1913年、中華民国に永翔(ユン・フェン)級砲艦(830トン)2隻
    ・1917年にティプ・ジャポネ(日本型)とも呼ばれるアルジェリミン級駆逐艦(樺級と同型、665トン)12隻
    ・1932年、中華民国に巡洋艦寧海(ニンハイ、2526トン)、なお、姉妹艦である平海(ピンハイ)は上海で建造
    ・1933〜1935年、満州国に恩民(エミン)級砲艇(15トン)3隻、大同(テイ・ツン)級砲艇(65トン)2隻、順天(シュン・ティン)級砲艦(270トン)2隻、その拡大型である定辺(ティン・ピン)級砲艦(290トン)2隻
    ・1936〜1938年、シャム王国に給油艦サムイ(1854トン、非武装)、ターチン級フリゲイト(1400トン)2隻、カンタン級警備艇(110トン)3隻、マッチャーヌ級潜水艦(370トン)4隻、アユチャ級砲艦(2265トン)2隻、バンガン級給糧艦(815トン)2隻
    ・1939〜1941年、満州国に陽春級砲艇(54トン)2隻、興亜級砲艇(60トン)2隻、暁光級砲艇(43トン)2隻、咸明級砲艇(30トン)2隻、測量艇鳳山(20トン)
    ・1954〜1958年、ブラジルにカストディオ・デ・メロ級輸送艦(4800トン)4隻、シリウス級測量艦(1463トン)2隻
    ・1957年、中華民国(台湾)にフウ・チョウ級哨戒艇(33トン)2隻
    ・1959年、フィリピンに大統領ヨット ラプ・ラプ(2770トン)
    ・1961年、インドネシアに揚陸艦テリュク・アンポイナ(1820トン)、輸送艦ムルタチュリ(3220トン)

     また、1953年からの米軍の域外調達により、揚陸艇多数が建造されているそうです。

     さらに補足するならば、1935年、満州国に海鳳(ハイ・フェン)級警備船(184トン)2隻、海光(ハイ・クァン)級警備船(45トン)4隻、艦名他、詳細不明の800トン型母船と呼ばれる警備船が1隻

    以上、要目、説明、同型艦名は割愛しました。
    tomo

  4.  参考までに
     満州国には江防艦隊というものが建国時から1939年まであり、これが海軍に相当した。しかし、同年に陸軍に編入され、同時に河川沿岸防備の陸兵を吸収するなどの改変もあり、江上軍と改められて終戦に至る。艦隊は砲艦、砲艇のみの編成で、基本的に満ソ国境の河川を中心に活動。
     海の警備等は警察である海上警察隊(時期により、名称、組織編成がころころ変わっている)が担当した。
    tomo

  5. ↑3訂正
     1917年の駆逐艦は質問にあるフランスへ輸出した艦です。
    tomo

  6. 4,5年前、確か「外交研究」というようなタイトルの雑誌で、戦後の昭和30年頃に、タイ海軍向けに九五式魚雷(だったかな)を輸出していた、という記録を見ました(実家に行けばメモがあるのですが、今は記憶モードです)。戦後10年近くも設計図が残っていたとは驚きです。どなたか詳細ご存知の方いらっしゃいませんか?
    Sampon

  7. ↑3 質問で恐縮ですが

    >・1913年、中華民国に永翔(ユン・フェン)級砲艦(830トン)2隻

    1996年に揚子江から引き上げられた中山艦(孫中山=孫文の革命時の旗艦)
    は、原名「永豊」と聞いていますが、これが、この「永翔」の姉妹艦なんでしょうか。
    全長65.9m 幅8.9m 喫水2.4m 排水量780t とあります。(いつ頃の数値か不明)

    1910年に清朝政府が三菱長崎に発注、1913年に北洋政府の海軍部が受領。
    1938年10月24日に武漢の長江で日本軍機の爆撃で沈没(加賀隊ですか)。
    96年11月12日,中山艦将重現英姿。侘将更強烈地激跋炎黄子孫的熱情,
    鼓舞海峡両岸的同胞、為祖国的和平統一繁栄昌盛再作貢献。(以上
    LEEモデル社 宗慶齢児童科学技術館監制 1/150中山艦 組立説明図から、一部当て字)
    Ticonderoga

  8. ↑ ConwayのAll the World's Fighting Ships 1906-1921に

    ”Yung Feng was renamed Chung Shan in 1934、She was Sunk off Kinkou in the
    Yangtze by Japanese Aircraft”(Sunk 1938/10/24)

    とありますのでからYung Fengが中山艦で間違いないと思われます。
     因みに同型艦のYung Hsiangは1937年青島で自沈、後に日本軍が浮揚、1945年中国艦籍に復帰、
    その後台湾に渡って1959年頃まで現役にあったようです。
    大塚好古


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