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484 第二次大戦中、日本とドイツの連絡方法として潜水艦を用いた事がありましたが、敵の警戒が厳重な大西洋を通るため危険が伴い、無事に往復できたのは1隻だけだったと思います。
そこで素朴な疑問ですが、北極回りのルートは取れなかったんでしょうか?フィクションの世界ですが、松本零士の「オーロラの牙」ではドイツより北極回りで日本に向かう潜水艦が描かれていますが、やはり無理だったんでしょうか?
黒騎士

  1. ゴミレスですが、手塚治虫「アドルフに告ぐ」にも北回り航路で日本に来るUボートが描かれていますね。
    ささき

  2. ベーリング海峡で網を張られてしまう気がしますが。
    TUBO

  3. 対独連絡というのは、確かに困難だったことは事実ですが、日本から見た独伊より、独伊から見た極東の方が近かったのではないでしょうか。日本からキ77が命懸けで飛行して行方不明になりましたが、伊からは割と平気で飛んできていますし、潜水艦にしても、Uボートも伊潜水艦も何隻もが喜望峰を回りアジアに回航されていて、伊号とともにペナン島を基地にインド洋、太平洋で活躍しています。あえて北極海を越える必要は無かったのではないでしょうか。
    BUN

  4. 北極回りの航路は、やはり自然環境が非常に厳しかったのではないでしょうか。
    艦名は忘れましたが(コメート?だったか)、独ソ開戦前に、ドイツの仮装巡洋艦が北極回りで太平洋に進出したときは、有償でソ連砕氷船の先導を受けたと、何かで読んだ記憶があります。が、先導した当のソ連艦船でさえ、極東と欧州方面との移動は、一般的に太平洋から、インド洋や大西洋方にまわっていたようですから、北回りは難儀なルートだったのでは。
    松木

  5. 3に同感です。遣独潜水艦が「偉業」「難行」の様に言われているのが
    問題かと・・確かにそうに違いないのですけども。
    takukou

  6.  うろ覚えですが、北極ルートでは分厚い氷のせいで「可潜艦」では航行途中での浮上が不自由。そのため、北極ルートでの航行に成功した潜水艦は、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号であった、と何かの本で読んだことがあったと思います。
    tomo

  7. たぶん上が正解だと思います。北極海が「実用化」されたのは冷戦末期にソ連のSLBM原潜が北極の氷を突き破って浮上してのデモンストレーションを行った時代ではないかと思います。
    米ソというのは太平洋や大西洋を挟んで対置しているというよりも北極をを挟んで対置しているという方が実態だったりします。ICBMもSLBMも基本的には北極を掠める大圏コースを飛んでいきます。当時ソ連のSLBM原潜は射程が延伸してバレンツ海やオホーツク海から米本土を狙う戦術でしたが、そこも安全とは言えなくなりつつあったので、より安全で米本土に近い北極が選ばれた訳です。
    舞弥

  8. 冬場はともかくとして、夏場は北回りルートは氷の影響は受けないと思
    います。勿論、緯度にもよりますが。

    あと、SSBNの氷海下展開は純粋に安全面であって、米国との距離は
    関係ないのでは?
    takukou

  9. ↑安全面という点が大きいのは確かですが、より安全でありソビエトSSBNの完全な聖域であった
    白海に比べて北極洋からだとアメリカ全土をSLBMの射程域に納めうるというのも大きいと思います。
    大塚好古

  10. 有り難うございます。射程内の納める、というのも目的かぁ。
    うぅ、やはりあれを読んだ後に回答するんだったか・・
    takukou


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