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なぜ、日本空母は、定数一杯まで航空機を積まないのですか? 例えば、赤城は、最大90数機まで積めるはずなのに60数機とか。 あと過去の、この掲示板の内容を全てをダウンロードするにはどうすればイイですか? 景司 |
- 空母の飛行機搭載定数というのは搭載予定の機種にも関わってきますので、同型艦でも建造時期に違いがある場合、搭載予定機種が異なりそれに応じて定数が変化している場合があります。また、定数として伝えられている機数が実際の個艦の搭載能力と見合った数とも限りません。こうした事情で搭載定数以上の搭載機で出撃した空母の事例としてはマリアナ沖海戦の大鳳が挙げられます。
BUN
- まず、日本空母の搭載定数は常用機と補用機の2種の状態が合計されたものであり、
60数機というのは常用機数、残りは分解状態で格納されてる補用機ということです。
これが定数一杯搭載している場合の解答です。
もう一つ、実際搭載量が定数を下回っている場合もありますが、
こちらは何らかの事情により、機体やパイロットが確保できなかった場合であるのが普通です。
勝井
- 回答ありがとうございました。機体やパイロットが、確保できなかったというのは、読んだことがあるのですが、
例えば真珠湾攻撃のような大事な作戦なら基地航空隊を引き抜いてでも90数機まで積もうとしなかったのはなぜでしょうか?
景司
- 勝井山の回答はちょっと変。
真珠湾の時の搭載定数は確か、常用63機、補用9機のはず。
九六艦戦時代の定数、常用66機、補用25機の91機に対して機数が減少しているのは搭載機種が変更されている為でしょう。
ただ、真珠湾攻撃隊があれ以上大規模な部隊に編成できたかどうかは疑問があります。もともと各母艦が定数を満たしていた訳でも無く、新設の五航戦もある為に、あの規模の母艦航空兵力が当時の限界だったものと思われます。
BUN
- ↑×2BUNさんの御回答にも有る様に、母艦飛行機隊の編成力の限界と
考えた方が良いと思います。
事実、零戦に限って言えば、開戦前に生産数が間に合わず、真珠湾作戦用と
フィリピン方面用に掻き集めたのが現実です。
その為、空母龍驤等は開戦後も96式艦戦を使用していましたしね。
無限
- BUNさんが書いてるのは、どちらかというと機材よりも搭乗員の方の問題だと思います。真珠湾の時には、内線部隊や教官配置の人間を、作戦終了後は帰す、といってむりやりかき集めてますから。
舞弥