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751 過去ログ(質問528 日本海軍がコンクリート製の船舶を建造したって本当ですか?)の回答で、米軍がコンクリート船の開発に成功して、沖縄戦に投入したと書かれてました。この米国製のコンクリート船について、詳しいことを教えていただけませんか?
ツカドン

  1.  質問者です。ついでに、日本海軍のコンクリート船の戦歴についても教えていただけませんか?
    ツカドン

  2.  米国は第一次大戦時に鉄鋼の不足に対応するためコンクリート船を建造しております。
    これらのコンクリート船は結局第一次大戦には間に合わず、民間に引き渡された模様です。
     第二次大戦時に新たにコンクリート船を建造したかどうか手持ちに資料が無いので
    回答できませんが、これらのコンクリート船を米軍が徴用して使用したことは確かです。
    大塚好古

  3.  追記。ノルマンディー上陸作戦に参加したコンクリート船は1943年/1944年の就役との
    記述がありましたので、大戦中にもコンクリート船を建造していたようですね<米国
    大塚好古

  4. 日本の戦時造船計画の中にはコンクリート船の建造は確かにうたわれているのですが、実験試作程度の状態で目標建造トン数も決定されないまま先送りされ最終的には終戦局全に放棄され、最後の造船計画は戦車揚陸船に統一されています。
    BUN

  5. 終戦直前、ですね。
    BUN

  6. 日本のコンクリート船の一エピソード。
    学生時代、無機化学(珪酸塩化学かなんか)のM先生が、戦争中、軍の依頼でコンクリート船の研究をした話をしてくれました。多少先生の誇張と私の記憶違いがあるかもしれません。

    1.鉄筋の入手ままならず(かどうか正確ではないけれど、とにかく)補強材として竹を用いる前提だった。
    2.竹と通常のコンクリートでは熱収縮率が違うので、鉄筋用セメントは使えなかった。
    3.竹と熱収縮率が同じで、竹となじみが良いセメントを開発した。
    4.新セメントはマグネシュウム成分が多いドロマイト系と呼ばれるセメントだった。
    5.ドロマイト系セメントで作ったコンクリートは完全固化しても水に溶ける性質がある。ただし、水にさえ会わなければ強度は通常コンクリート並である。
    6.そこで、今度は、専用耐水塗料が必要になったが、当時は多孔質のコンクリート表面でも成膜する大分子量のエマルジョンペイントなどという物は無かったので、こっちの方が(セメントより)問題だった。
    7.どうしても塗膜にクラックが生ずるし、傷もつく、するとそこから船体が溶ける。
    8.結論として、かちかち山のどろ船のようなもので、いくら物資がない戦争中とはいえ、実用とは言い難いものしかできなかった。

    というようなお話だったと思います。(先生はもう故人。この話は非常に面白かったので一言一句ノートを取って、さらに研究室まで質問しに行った記憶があり、ノートは拙宅の倉庫のどっかにあると思います)

    米国が実用化に成功したとしたら、鉄筋コンクリート船で、耐水塗料問題もなかったでしょう。コンクリート船といえども国力の差が出る、という事でしょうか。

    SHI

  7. 「武智丸」が二次大戦中に竣功し、油タンカー「第一国策丸」は終戦後に竣功したと「昭和造船史」等に記載があったと思います。

    >竹とコンクリの相性が、、、
    実船は鉄筋コンクリではないでしょうか。鋼材不足の補完によるとの点は事実ですが、強度的に不安があります。
    ペンギン

  8. 船全般に疎いえせ土木屋のtowは土木雑誌「日系コンストラクション」の
    バックナンバーにおいて、
    「コンクリート船リサイクルの防波堤」
    なるモノを見たことが有るのだけれど、これが>7.ペンギン氏言うところの
    「武智丸」「第一国策丸」のなれの果てなんでしょうか?
    # 件の雑誌が残っていたらまた報告しますが。

    時に鉄筋ならぬ竹筋コンクリートですが、戦前の建造物には結構使用例
    が存在するはず。結構な強度と実績があると。
    # 船と陸上の固定物じゃ条件全然違いますけどね。
    tow

  9. >8

     コンクリート船を利用した防波堤なら、広島にあるそうです。『丸』誌のバックナンバーにて読んだ記憶があります。手元のメモでは、昭和54年4月号に掲載されてたようです。
     ちなみにこれは余談ですが、北九州市には、駆逐艦を利用して作った防波堤である、通称「軍艦防波堤」なるものが存在するとか。

     それと、竹筋コンクリート建造物ですが、これって場所によっては珍しくないそうです。友人で某県庁の土木課に務めてる人間から聞きました。意外と頑丈に仕上がるとか。職場では、冗談半分に「竹の子が生えてきたことがある」とか言われてるとか。
    ツカドン

  10.  質問者です。しつこく、質問させて下さい。
     図書館で船舶関係の書籍を漁ってたら、『船舶百年史 後篇』(上野喜一郎編集 有明書房 昭和33年5月30日発行)なる本を見つけました。27頁から29頁にかけて、戦時中のコンクリート船が紹介されてます。
     それによると、海軍省によって2隻(第一、第二武智丸)、運輸省海運総局によって1隻(第一国策丸)が建造されたそうです。
     写真と、側面と上面から見た図面、そして横断面図が掲載されてます。妙に角張ってるのが、最大の特徴でしょう。横断面図なんか、きれいな長方形ですね。それと、建造途中の写真もありますが、何だかビルの建設現場みたいです。ちなみに、鉄筋でした。
     コンクリートには硅酸性防水剤が混入されていて、普通のコンクリートに比べて、水密性、海水耐蝕性が優れてるんだそうです。
     性能はというと、第一武智丸だと、「屯数(G.T.)800、載貨重量(D.W.)900、長(Lp)60m、幅(B)10m、排水量(Dispt)2000、馬力(H.P.)750、速力(Speed)9.5K」とのことです。
     この性能は、同クラスの鉄製の貨物船と比べて、どんなものなんでしょう?
    ツカドン

  11. >9
     戦後、旧海軍の駆逐艦の何隻かが防波堤に使われたと、最近『丸』誌で読んだ記憶があります。艦名までは覚えてないんですが・・・
    ブラック・タロン

  12. 10.> 他の船舶と比べて、、、
    戦時標準船のE型、改E型とほぼ同じです。(確か設計図は流用)
    船殻が厚く重い分だけ、取り回しは難しいでしょう。

    ちなみに機銃掃射を食らっても貫通しない分だけ耐弾性に優れているとの評価も一部であります。(でっかいトーチカみたいな物だし、、、)
    ペンギン

  13. 軍艦防波堤というのは、これですよ。http://www.intwk.co.jp/YAMADA/build7/gunkanbouha/GUNKANBOUHA.html

    BUN

  14. >3. 大塚さんのおっしゃるノルマンデイのものは、いわゆるマルベリ港の構成物のことですか?


  15. ↑いや、D-Day参加船舶の中に2隻コンクリ製と記載されているのがありまして。
    それがマルベリ用かどうかは私の手持ち資料ではわかりません。

    なお、下記に第二次大戦時のアメリカ製コンクリ船と思しき写真がありますのでご覧下さい。

    http://www.tam.uiuc.edu/History/Talbot/ss_talbot.html


    大塚好古

  16. 前掲されていますが、資料を発掘したので補足です。

    緒元は10番に記載されている通りなんで、材料をば
    鋼材(船体用)135トン(8割が鉄筋)、艤装用木材237石、型枠用木材
    1200石、セメント170トン(普通のポートランドセメント)、川砂51
    0トン、砂利510トン。
    外壁の厚さが110ミリで、水没する部分は薄い鋼板で覆われていた、という
    ことです。
    運用実績は特に問題なく、触雷あるいは機銃掃射の状況からは鋼船と同程度ある
    いはやや良好程度。
    その後、セメントを耐水性にした第一国策丸が完成。

    横断図を見る限りでは、構造物のケーソン基礎、という感じですね。

    tackow

  17. 米陸軍がWWII時に保有し使用したとの資料がありました。当時米陸軍は船舶
    の所有権について海軍ともめたらしく、政界に働き掛け戦時の間だけというこ
    とで徴用したりして集めた船舶は127、793隻!!この中に海軍が見むき
    もしなかった強化コンクリート船があったそうです。因みに127、793
    隻の大部分88、366隻は突撃揚陸艇(LCA)だそうです。
    VANDY1

  18. 武智丸は、戦時標準船改E型とほぼ同級の船として設計されています。
    武智丸と改Eの一般配置図を比較してみると、船尾形状が少々異なるくらいで
    非常に良く似た船容をしています。
    線図を比較した場合、両者ともいわゆる直線式線図となっていて、これもよく
    似かよっておりますが、改E型のビルジ部が角型となっているのに対し、武智丸
    のビルジ部には丸みが付けられているのが特徴です。これはコンクリートの
    打込作業の便を考えてのことらしいです。またナックルの配置は相当に違って
    いるようです。
    中央切断図は、当然ですが全然違います。

    なお、改E型船(主機がディーゼルのもの)の主要目を列挙しますと、
    総トン数:870トン、垂線間長60m、型幅9.5m、型深さ5.45m、満載吃水4.56m、
    (満載)排水量2040トン、載貨重量:1585トン、主機械は各種のディーゼルが
    搭載されており、公試速力は9〜10ktでした。

    武智丸と改E型の比較については、造船協会会報75号に詳細に述べられています。
    主なものをその他の資料と合わせて以下に要約しますと、
    ・鋼材所要量は0.48倍となった。しかも一番苦しい造船用厚板ではなく、棒鋼を
    主に使用した。これは造船所のスクラップ材からでも調達できる。
    ・船殻重量が3.6倍に増大し、載貨重量は0.63倍に低下した。
    ・単位鋼材使用量あたりの載貨重量は1.3倍となった。
    ・木材使用量は大幅に増大した。
    ・船体強度の保持とコンクリート工事の便から、幅を広く深さを大きく取った。
    ・船殻重量が大きいため、改E型船で問題となった空倉時の船首吃水不足の問題は
    なくなり、バラストタンクも不要となった。また、空倉時のGMは減少した。
    といった所です。

    その他、コンクリート船は鋼船を比較すると、
    ・工事施設は簡易で済む。
    ・熟練労働者も多くを必要とせず、労働力の調達に有利である。
    ・船体破損しても適切に適切に復元すればその部分の強度は落ちない。
    ・水密性に問題を生じやすく、施工の良否が水密性に及ぼす影響が大きい。
    ・衝撃によって破損しやすい。そのため進水時に大きな衝撃が加わる普通の船台
    建造方式は適用できない。
    と、一般的に言われております。

    ところで、わたくしも戦時中のコンクリート船にかなりの興味を持って調べており
    まして、そのうちその成果を「有明」で出したいと考えてます。
    関係資料などご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示願えませんでしょうか?

    ふりげいと

  19. うーん。M先生の竹筋コンクリート船は、もっと物資逼迫時前提だったみたいですね。
    SHI

  20.  増加した木材の使用量は型枠用のモノが大部分だと思うんですが、往事の製造過
    程では型枠はどの程度再利用されていたのでしょうね??

     何回か使えれば、モトは取れそうな感じもするんですけど。
    tackow

  21. 昔、V番組で、和歌山の入り江に海面から突き出ている、コンクリートで出来た何か判らない物を調べる番組を見た覚えがあります。調査の結果は大戦末期に作られたタンカーで、図面では上甲板を残して水没した状態で運用する(艦尾に操船個所と煙突が出ていた)物でした。番組が確か「探偵!ナイトスクープ」だったので、先ほどまで調べていましたが、詳細が見つからず、全て記憶モードです。

    プチロフ

  22. 21.>…水没して、、、
    おそらくコンクリ性の被曳航型の油槽船(?)と思われます。よく港湾で見受けられる
    非自走型の油船をでっかくしたようなもので、鋼製のものはシンガポールから1万dク
    ラスのタンカーに(油満載で)曳航された例もあります。
    もっとも曳航速力7〜8ktなので船員からは嫌われ、ただの油タンクに成り下がったような記憶があります。

    >広島で防波堤、、、
    「残存帝国艦艇」他で昭和47年時点、呉近郊の安浦漁港で第二武智丸がポンツーンになっている
    との記述がありましたので、追記させていただきます。


    ペンギン

  23. ↑ 多分、そうだと思います。
     鋼製と同様な鉄筋コンクリート製の曳航型タンカー が3隻造られたらしい
    です。
    tackow

  24.  「歴史群像 2001/2 45」(2001/2/1付発行)の「読者の声」P144にちょっこっとレポートがあります
    ペンギン


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