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770 今月号の「世界の艦船」にも掲載されているのですが、「戦艦大和設計と建造」
中での記述で。大和の砲支筒は、構造上同時に主砲2門分の衝撃(3,426t)しか
耐えられず。とあり、従って、主砲の斉射は出来ない。と編者は驚愕しておりま
す。
しかしながら、建造当時の運用上の要求としては、対水上艦砲撃に斉射を用いる
のは当然の事項であり。更に、就役後演習において斉射を実施した、という記録
も存在します。

果たして、大和の砲支筒は当初より2門分の衝撃にのみ耐えられればよし。とさ
れ、そのまま建造されていたのでしょうか?
tackow

  1. 大和の主砲は発砲遅延装置により順次(0.3秒間隔?)発砲されるので一度に1門分の反動しか掛からず,2門分の強度があれば十分なのだろう,と今まで解釈していましたが。
    isi

  2.  う〜む、発砲遅延装置による衝撃の分散、というのは盲点でした・・・

     しかし、大和の設計が終了したのは昭和12年。足柄において発砲遅延装置の
    試験を実施したのが昭和13年ですから、スケジュール的には無理がある感じで
    す。海のモノとも山のモノとも判らない発砲遅延装置に頼るというのは考えづら
    いですけど・・・

     (?)と付けられているように、大和型の発砲遅延装置の遅延時間は0.3秒
    とする記述があるのですが、これも謎ですね・・・
     大口径砲の場合には実験の結果0.05秒に設定されていたと思うのですが?
     それとも、大和型の場合には違っていたのかもしれませんが、大体にして、そ
    れ程の射撃訓練を実施していたのかも???です。
     謎のままおわるのでしょうか・・・
    tackow

  3.  いろいろ可能性は考えられると思いますが
     一般的に、機械を設計する場合は4倍程度の安全率を見込んで設計するのが
    機械屋としての常識です。武人が蛮用する軍艦の場合は、もっと大きいかも
    知れません。
     もう一つの考え方として、被弾の可能性が高い部分がある場合、交換と消耗を
    前提として設計しておくという考え方があります。
     あくまでも対戦艦戦、それも艦隊決戦に使用することを前提とした場合
     こちらが無傷で済む可能性は0であるといっても過言ではないでしょう。
     おそらくボロボロになってしまうはずです。
     こちらもこの時とばかりに主砲を打ちまくりますので、なおさらでしょう。
     幸運にも生き残れたならば、母校に帰って修理の際交換してしまえばよいわけ
    です。それでなくても被弾時の衝撃で変形して旋回不能になる所なんですから。
     板厚を厚くすればいいじゃないかと言ったって、一トン近くもある砲弾が
     高速でたたきつけられるわけですから、変形を起こすなという方が無理ですよ。
     それができれば全世界の戦艦がとっくの昔に採用しているはずです。
     天文学的確率で、列強の造船技官達がそろいもそろってヌケサクの集団である
    という可能性も否定できませんが・・・
     逆に言えば、当時大和級の入渠修理が可能なのは横須賀と呉にしか無いはず
    ですから(ここらへん記憶モード)そういう考え方もできるのではないかなと
    思います。
    T.M.

  4. え?安全係数を4ってのは普通なの?
    そんな数字冗談抜きで使ったこと無い…(笑)
    sorya

  5. 決戦主義の日本海軍の場合、特に決戦兵器である戦艦に関しては1会戦した後のことなんか考えていないに1票。(^^;
    けい

  6. 戦艦の砲塔やバーベッドの予備パーツがそんなに用意してあったとおっしゃるのは、いかがでしょうか。


  7.  砲塔の強度(?)なんですが、大和はレイテ沖あたりで1000lb爆弾(?)
    を喰らってますが、あれの衝撃はどの位になるのでしょうね??

     徹甲爆弾と通常爆弾ではまた違うのでしょうけども、米艦載機はレイテ沖で徹
    甲爆弾を主用したらしいので、徹甲弾だと思うんですが??
     重量、着速が半分ですから、砲弾とは衝撃力が違いすぎるかな? 

     支筒構造の安全率はどの位取られているんでしょうね、、
    tackow

  8. 減装なら9門斉射で問題なさそうですから、べつにどうでもいいような気がします
    Navy


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