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始めて質問させていただきます。 比島沖海戦において、第二戦隊は低速のために他の艦と同一行動をとることができない為、スリガオ海峡経由の別働隊となった、と言われていますが、 速力は 長門 25.0Kt 山城 24.5Kt この0.5Ktの差はそれほど決定的なものだったのでしょうか? もつ |
- 決定的ではないと思いますが、軍艦も機械、大正初期完成の山城や扶桑と大正末期完成の長門、艦歴にして10年前後の差があり本当にカダログ通りの速力がでたかどうか疑問です。
とーる
- 速力に関しては長門も「遅い」との理由から外れるところうを艦隊側の要望で残した経緯がありますし、扶桑型が速力問題で別行動を取ったとは考え難いのですが、如何でしょう。単純に多方向からの同時突入を狙ったと解釈した方が自然な気がします。
BUN
- 大和と共同行動する事から
同一戦隊での航行訓練とかが足りなかったとか
また、一案として扶桑型も参加した場合
戦艦戦隊の規模が大きくなり行動の自由度に不満が生じたかもしれません
BUNさんが言うように多方向からの襲撃が原因でしょうね
まあ、長門がスリガオに回されなかった理由の方が私としては興味深いかな
SUDO
- 多方面からの襲撃とした場合に、第二戦隊に対して期待していたのでしょうか?
言葉悪いですが、主戦隊に対して攻撃を集中させない為の囮という役割の面が
あったのではないでしょうか?そういう部隊に長門まで配属するのはしのびない
とか。
艦隊規模の大小ならば、主戦隊の前方に別動部隊として貼り付ければ艦隊決戦
となった場合でも速力や口径の小ささも問題にならないと思うので、敵の戦力を
分散させるという意味もあったのではないでしょうか。
bluefish
- 長門は第1戦隊じゃないですか。
わざわざ戦隊分割してまで別働隊に組み込もうとは思わなかったんでしょ。
けど僕も西村艦隊囮説、一蹴はできないです。
なんたって規模が小さすぎる。
勝井
- 今ふと思いつきましたが、
燃費の問題とかはなかったでしょうか?
扶桑級が戦闘速度でシブヤン海突っ走ったら、
帰れなくなる恐れありとか。
勝井
- 長門の第一戦隊編入に関して速力上の問題が指摘され、それに対し艦隊側が最大速力で航行することはない、との理由で第一戦隊に残した経緯がありませんでしたか?
囮説・・・・レイテ湾上の敵兵力の見積がどうであったかに掛かっていると思いますけれども、如何ですか。
BUN
- >6
燃費、どうなんでしょうね、、
馬力→長門が若干大きい(まぁ、ほぼ一緒)、燃料の搭載量→長門が少し多い
(一割位だったかな?)、改装時期、ほぼ同時期。
であれば、航続距離に大きな違いは無いと思いますがね?駆逐艦なんかの方が
ずっと事情は悪そうだけど・・・
tackow
- 竣工時、長門は重油専焼、初ギアードタービン8万馬力、最大速度26.5ノット、山城は重油石炭混焼4万馬力、最大速度22.5ノットですから
船型がはなから違うのでは?いくら後に改造しても、山城は高速巡航運転では燃費などが長門に劣るのではないでしょうか
Navy
- 両者の最大速度と馬力から見ると
同じ速度を出した場合
扶桑型と長門型では殆ど必要馬力は同じぐらいでしょう
となると、発生馬力≒燃料消費量ですからこの点でも同等では?
敢えて言うなら長門の方が旧式タービンですから効率が悪いかもしれない
でも、あれって結合式だから高速巡航で部分負荷をかけた場合は有利かも
実際問題として船型の違いによる効率は殆ど無いでしょう
っていうか、それが大きく作用するなら速度も変化すると思います
SUDO
- 扶桑型は日本戦艦中、最大の航続距離を誇ってますよ(学研の歴史群像最新刊・扶桑型戦艦参照
シブヤン海経由に、むしろ扶桑を回したほうが燃料の心配はなくなっていたでしょう
攻撃力も金剛型の1.5倍なわけだし
やはり第1戦隊突入の為の捨て駒にされたんでしょうね、第2戦隊は・・・
西村中将が出撃前ニコニコしていたのも捨て駒部隊となって全滅覚悟していたからではないか?
と言われていますし
それでも突入したのに対し主体のにげっぷりといったら
星芋
- しかも、結果を基に評価をするアメちゃんからは「勝ち目がないのに(それとも『敵情がろくに解ってないのに』だったかな?)闇雲に突っ込んだ愚将」なんて言われてますからね。「タフネス・タナカ」と較べてあまりに不憫です。
tomo
- 沢山の回答ありがとうございます。
やはり西村部隊の分派は速力以外の理由があったと見るべきなのでしょうね。(昔の戦記物には第二戦隊は低速のために距離の短いスリガオ海峡経由にされた、と書かれていたもので・・・)
ところで西村中将は第二遊撃部隊が自分の後を追いかけていたことを知っていたのでしょうか。
もつ