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812 こんばんは。
観測船「宗谷」という船がありましたが元をたどれば海軍の特別輸送艦だったそうですが、この船の同型艦ってあったんですか?
ハイエナ

  1. 宗谷は元々ソ連向け耐氷貨物船として建造され
    進水直後に契約が流れて辰南汽船に拾われて地領丸として就役
    日ソ関係悪化で砕氷艦艇の不足に直面した日本海軍が購入し
    運送艦宗谷となりました
    特別輸送艦では有りません、ちゃんとした海軍籍にある艦艇です

    こういった経緯の船舶ですので同型艦は存在しません

    しかし、見事に波乱万丈な生涯ですな
    船の科学館に彼女は保存されていますから
    機会があったら行って見ると良いかもしれません
    数少ない現存する太平洋戦争を生き抜いた海軍艦艇です

    SUDO

  2. 元海防艦「こじま(志摩)」が消えた今としては本当に貴重な存在ですよね。
    船の科学館には2回ほど2式大艇などに用があり出かけましたが「宗谷」は波乱万丈ですね〜(笑) 
    同形艦について聞いたのは、日本映画新社の「日本海軍艦艇集」の下巻(確か)の海防艦一号の進水式で奥の方で停泊してる船が「宗谷」にソックリだったのが気になったからです。(ちがうかな?)でも輸送船なんかは似た形が多いですからね・・・・
    ハイエナ

  3.  戦後『宗谷』は復員船として活躍後、1949年から海上保安庁の灯台補給船として使われましたが、その後1956年に、国際地球観測年(1957〜58)にちなんで日本が南極観測に乗り出すことになると、耐氷能力があるということで砕氷船(南極観測船)に改造され、第6次隊まで南極観測支援の任務に当たりました。
     しかし、『宗谷』の砕氷船としての能力は当初から低く、また昭和基地のある南極オングル島近海は悪天候地域であり、何度となくビセット(密群氷に閉じ込められる)を経験しました。1957年の第2次隊の時には40日間にわたってビセット状態のまま漂流、第2次隊の投入を断念するに至りました(有名なタロとジロのエピソードのきっかけとなった事件です)。
     南極へ出動して帰国すると、そのたびに修理・改造を受けていた状態ですね。

     砕氷船としての任務を終えた『宗谷』は、1963年に第1管区海上保安本部に巡視船として再配属され、1978年に退役しました。その後、日本の南極観測事業における活躍を記念して保存されることになり、(財)日本海事科学振興財団(船の科学館)に払い下げられたのは周知の通りです。
    ブラック・タロン

  4.  海軍の同型艦ではないけれども、辰馬汽船(ウロです)の天領丸、人領丸が同型船として建造されていますね。
    ペンギン

  5. なるほど。もう少し同型艦(船?)について教えてもらえますか?
    ハイエナ


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