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916  ナチスドイツ海軍のUボートには、よくパーソナルマークというか各艦固有の絵が艦橋両脇に描いてある艦が見られますが、旧日本海軍の潜水艦ではそういった例はないのでしょうか? 回天作戦に参加した潜水艦では菊水が描かれていますが、その他の図柄は見聞きしたことがありません。
 また、米海軍の艦船には艦橋に撃墜・撃沈マークを書き込んだ艦がありますが、旧日本海軍でもこういったことはされていたのでしょうか?
6Fサ

  1. 帝国海軍潜水艦の場合、とくに大戦後半になると、出撃時や帰港時に各艦固有の「のぼり」を立てるのが流行になったようです。
    幟の図柄や文字、大きさ、形状などは、それこそ艦の数だけあり、パーソナルエンブレムと呼べるものではないかと思いますが。
    まなかじ

  2.  大漁旗の伝統、かな?(ゴミレス)
    便利少尉

  3. 「Uボート・コマンダー」を読んだとき、指令塔のマークは艦の識別用だと書いてありました。防諜上の理由で「U−333」などと大書きする訳にゆかないので、個艦をマーキングで識別していたとか。ちなみにU−333は「三匹の魚」が目印だったそうです。
    ささき

  4. 光人社NF文庫 木俣滋郎「潜水艦攻撃」に、海防艦34号は、収容した生存者から自艦が撃沈した(直接には周回魚雷による自爆ですが)潜水艦が「タング」と知って艦橋に潜水艦の絵と「タング」の艦名を記入した、とあります。

    IWA

  5. Uボートについて調べてみたのですが、番号の若い艦は皆、艦橋に艦番号をでかで
    かと入れていたみたいです。

    また、スカパフローに単艦潜入して戦艦ロイヤルオーク撃沈した、プリ―ン艦長の
    U47が付けていた暴れ牛のエンブレムは、後に第7Uボート戦隊に受け継がれた
    との事で、各艦固有という訳でもない様です。

    有名な鋸鮫のエンブレムも第9Uボート戦隊が使用していたらしく、少なくともU96とU744が使用していました。

    U47の写真に、エンブレムの上に66587toと書かれたものが有りました。
    恐らく撃沈トン数なのでしょう。
    しゃるほ

  6. U96が暴れ牛と鋸鮫を両方付けた写真が出てきました。

    元々第7戦隊の1艦だったが同艦の艦長レーマン・ヴィーレンブロックが第9戦隊
    を引き継いだ為だとか。

    鋸鮫は彼の個人的なエンブレムなのだそうです。
    しゃるほ

  7. 日本潜水艦の「南無八幡大菩薩」の旗指物の先駆けは稲葉艦長の伊三六が十七年十二月に呉を出撃する際に掲げられたものが最初のようです。その後、他の艦でも同様のものが見られるようになりますが、伊三六の噂が広まってのものなのか、あるいは八幡部隊等と同じく決戦の雰囲気の中で採用されたものなのかははっきりしません。
    稲葉艦長は豪快な人柄のようですが、新造潜水艦の士気を少しでも上げる為に標語を募集する(結局自作を応募、採用)等、狭い所帯である潜水艦長の仕事は色々と気を遣うものであったようです。
    BUN

  8.  『世界の艦船』420号に、イ351の艦橋前面に3本足の鳥(ヤタガラス?)と錦の御旗(?)等を図案化したエンブレムが描かれてた写真が掲載されていました。
     34海防の撃沈マークは有名せすよね。
    長門一郎

  9. >5.
    艦橋の艦番号表記は開戦後、廃止になったそうです。
    私が確認した写真は全て開戦前or初出撃前のものだったと思われます。
    失礼致しました。
    しゃるほ


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