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926 蛟龍についての質問です。
1、終戦後、蛟龍が呉のドックに集められた写真をみて思ったのですが、蛟龍の前部上面にあいている穴は一体何なのでしょうか?見張り用ですか?
2、蛟龍の潜望鏡の長さは何メートルですか?
3、蛟龍は五日間の行動が可能らしいのですが、この間乗組員の食事、排便はどのように済ますのでしょうか?
4、蛟龍に搭載された無線機の種類について教えて下さい。
吉野

  1. 1番の回答
    ・穴は魚雷発射管です(45センチ発射管)。蛟龍には2本の魚雷が搭載可能でした。“武装解除”しているわけですから、ぽっかりと穴が開いているように見えます。

    2番の回答
    ・イラストなどから逆算すると、3メートルぐらいじゃないでしょうか? 資料がないので分からないです。

    3番の回答
    ・この辺も資料がないですが、甲標的の発展型のくせにして移住は最悪だったらしい。たぶん、いいものを食べていたと思われます。ビールとか、蒲焼きの缶詰とか、羊羹とか……。でも、艇内は這いずって行動しなくてはならなかったそうなので、今では想像が付かないぐらいキビイシものではなかったでしょうか。(クーラは積んでいたらしいけど)
    村上征一郎

  2. 1.蛟龍の上部構造の中は燃料タンクになっています。で、写真の穴は燃料注入口です。
    2.甲標的の特眼鏡は、九七式特眼鏡で蛟龍のものは丙型と同じ”改二”で、長さは3.5mあります。現物は残っていませんが、簡単な設計図が「ニコン75年史」に載っています。甲型の”改一”は江田島のものに付いています。
    そして、何のものか判らない”改四”は、呉潜水艦教育訓練隊資料館に現物が使用可能状態であります。
    3.航行中の食事、トイレは艦内で行います。ただし、トイレだけは操縦室で行うわけにはいかず、機関室でやったはずですが、この時前部電池室へ1人移動し、トリムが変化しないようにします。
    停泊中は、陸上でしょう。
    4.無線機は移動式特用改一無線電信機で、海龍と同じものを搭載していました。

    記憶でパパッとまとめましたが、まだ「日本海軍潜航艇史」の特運を改正中で特潜にかかっていませんので、間違いがあるかも知れません。ただ、あと1年ぐらい待ってもらえれば、できるだけ詳細で分かり易くまとめた本を発売できると思います。

    GO

  3.  蛟龍は一応5日間の行動が可能とされているのですが、当時の回想によると睡眠もまともに取ることが出来ないので「せいぜい3日」が限界であったようです。
    tackow

  4. 艇内を這っていたということはわかりましたが、操縦室では立つことができたんでしょうか?
    吉野

  5. ええと,この移動式特用改一無線電信機の性能についても知りたいのですが・・・。
    吉野

  6. あの写真には、2種類の蛟龍が写っているのをご存じですか?
    艇首の上部構造が低いものと高いものの2種です。低いものは先行量産型で試作艇と同型で2重反転プロペラです。1列目は先行量産型がたくさん写っています。量産型と比べてみてください。
    なお、沖縄へ向かう203号艇の写真も先行量産型です。量産型であの状態ならダウントリムがかかっていないと、艇首の上部構造が水中へ隠れませんから。
    また、左には甲型訓練艇、右には丙型訓練艇が写っていて、奥にもかなり写っています。数えると甲型訓練艇は3艇、丙型訓練艇は9艇ほど写っています。
    GO

  7. GOさん、詳しすぎる・・・。203号艇の写真というのは「写真太平洋戦争 第10巻」(光人社NF文庫)に載っているものですよね。私は訓練艇の見分けはつきましたが蛟龍の先行量産型・量産型の区別はつきませんでした。ところでGOさんが出される甲標的・蛟龍・海龍の本については楽しみにしているのですが、どこの出版社からでるのですか?
    吉野

  8. 本はどこで出版するかなぁ。原稿が完成したら光人社(丸)や蔦屋(歴史群像)に売り込みに行こうと思っているけど、自費出版になる可能性が大ですな。

    そうそう、蛟龍にはもう2種類あって、量産型を二重反転プロペラにした蛟龍改一、電池を4個増やし最高速力を上げた蛟龍改二があるんだけど、これらはペーパープランで終わってしまった。

    あと、蛟龍に関しては、教科書(運用/機関)、大阪の蛟龍関係者が作った蛟龍建造総論(構造)、蛟の目覚め(建造秘話)、公式図面(部分図が中心)とほぼ完全な資料が揃っていて、その全貌が完全にと言っていいほどつかめています。
    しかし、困ったことに肝心な舷外側面図がどこにあるのか話からないんです。上部平面図はあるんですが・・・・。
    GO


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