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967 戦艦大和の主砲が46cmだと言う事は極秘で、たしか正式名称も40cmと
なっていたので当時乗っていた人も「40cmにしてはデカイと思っていた」
と知らなかったようですが、米軍は何時このことを知ったのですか?
敗戦時で資料などは、ほとんど処分され、スクリューの径やエレベーターが
何人乗りだったか?とか未だに分からないコトがあるのに・・・


ベリアル

  1. 終戦時に重要な資料が焼却または散逸したことは事実ですが、全てが失われた訳ではありません。米軍に渡った文書は膨大な量で、しかも終戦後に改めて軍側から報告書が纏められ、米軍の要求した調査が詳細に行われています。現代の我々はその米軍レポートが無ければ当時のことを詳しく知ることが出来ない程のものです。
    しかし、この話、基本的には何の疑問もありません。呉を占領した段階で現物が手に入るのですから・・・。
    BUN

  2.  ゴミを追加。1944年には未確認情報として「日本の新型戦艦は64,000トン、18.1in砲を
    搭載している」というのが艦隊に流れてますね。
    大塚好古

  3. ちょうど今、米国の戦艦フォラム(下記)でこのテーマが議論されています。これまでに集まった意見では米軍が本当のサイズを知ったのは戦後という意見ばかリです。大塚さんのおっしゃる44年に未確認情報が米軍に流れているというのは非常に興味ありますが、その出典をお教えください。米国のフォラムへ投稿してみようと思います。
    http://www.boards2go.com/boards/board.cgi?action=read&id=984422671&user=bbvsbb

    Tomas

  4. ↑これが明確に書いてあったのは昔の丸の大和特集号なんですが、掲載号が解りません(汗)。

     ところで最終的に米海軍は大和を40000tクラスの16in砲艦と認識していたことは確かですが
    (これは1945年発行のShips and Aircraft of the U.S.Fleet等に記載があります)、それ以前の
    年次に米海軍情報部から出ていた日本艦艇情報にはより大型である、という記載がされていた節が
    あるのは事実です。

     因みに当時の米海軍が出していた日本艦艇情報リストの中にある大和の情報には

    「主砲の本当の口径は16in?」「大きさは870x139ft」「排水量は45000t」とONI41-42Iに記載が
    ありますが、彼らが主砲口径に疑いを持っていたのがこれからも見受けられますし、また
    1943年-44年のONI41-42の情報ではその艦の大きさからの推定で「6万トンクラス、18.1in砲
    搭載の可能性あり」という推定情報を出していた節があります(残念ながら我が家には
    これが完全にそろっていないので断言は出来ませんが)。

     …上記の用件から断言してはいけない内容でしたね。役に立たない情報で申し訳ありませぬf(._.)
    大塚好古

  5. ああー、確かに呉を占領したら主砲の砲弾が手に入るから
    主砲の径なんて簡単に分かってしまいますね。
    なんてオバカな質問をしてしまったのだ!!


    ベリアル

  6. 金剛級の36センチ砲、長門級の40センチ砲、大和の46センチ砲は、14、16、18インチで、2インチずつ規則的に増えています。
    ちなみに砲弾重量は2倍ずつ増大しています。
    benben


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