QQCCMMVVGGTT
1411 こんにちは。いつもお世話になっています。
中国の国産装甲艦「金甌」について、建造経緯・使用実績について教えてください。
大雑把なカタログスペック以外さっぱりわかりません。
宜しくお願いします。
さいどわ

  1. >中国の国産装甲艦「金甌」
     装甲艦ということなので、ちょっと調べてみましたが、私の守備範囲である19世紀には該当する船が見つかりません。いつ頃の船なのか、判っている範囲でデータをお知らせいただけませんでしょうか。
    志郎

  2. >志郎さん
    わざわざ調べていただきまして、ありがとうございます。
    CONWAYの「ALL THE WORLD'S FIGHTING SHIPS 1906-1921」の”ARMOURED GUNBOAT”の項にズバリ”CHIN OU”があり、「1905年頃”TIONG SING”より改名」とあるので、「同 1860-1905」の”TIONG SING”を見たら、威海衛で日本が捕獲と・・・(あう)。
    「中華叢書 中国海軍史」という中国の本には、船種を“小鐡甲船”としておりまして、建造は江南船塢、光緒2(1876)年完成とあります。ただし、当初から「金甌」としており、改名されたようには見えません。
    「中国近代海軍史略」という本では、1884年時点で南洋艦隊所属となっていまして、艦種はやはり“小鐡甲船”と紹介しています。
    他の表では、艦種:砲艦、船長:105英尺、船寛:20.0英尺、吃水:7英尺、馬力:200匹、建造費:6万3千両、江南制造局、光緒2(1876)年としています。
    なぜか排水量と武装は空欄になっています。
    「ALL THE 〜 1860-1905」掲載の図を見た限りでは、河川モニターという感じで、ちょっと魅力的で気になっています。
    さいどわ

  3. 「江南造船歴史 1865-1949」によれば、受重300トン(それ以外のスペックは同じ)
    運用実績としては1880年に測海、威靖、等と共にせっ江台州の住民蜂起鎮圧に参加
    1888年に台湾高山族蜂起鎮圧に参加となっています。
    いずれも南洋出師での活動のようです。

    建造に際しては同時期の江南船渠はドイツ人などのお雇い外国人に大きく依存して
    いたハズなので、設計的にはそのあたりの影響にあると思います。 
    奈良の人

  4. >奈良の人さん
    情報をありがとうございます。就役中の行動についての情報は初めてでしたので、大変参考になりました。
    なんかイマイチ装甲艦らしい活躍じゃないのが残念ですが(笑)。
    さいどわ

  5. The Chinese Steam Navy に記載がありました。

     Chin-Ou は後に改名され、Tien-Sing or Tiong-Sing になったとされています。Conway と逆ですね。どっちが正しいのかは判りませんが。
     排水量はビルダース・メジャメントで195トン、2軸、17センチ・クルップ砲1門(昇降式)、衝角を持ち、主機も海軍省で設計、建造されています。
     装甲については、砲を囲む部分の厚さは65ミリから60ミリ、舷側は60ミリから50ミリとされます。

     形式としてはレンデル砲艦で、砲の周囲と舷側を鉄板で覆っただけのようです。砲は旋回できないので、いわゆる砲塔艦ではありません。
     寸法はそちらでお調べになったものとほぼ同じですね。出力は340馬力、10ノットとなっています。排水量は300トンくらいないと成立しないでしょう。

     日本に捕獲されたという話は、改名した名が Hei Yuen とあり、これは「平遠」Ping Yuen の読みそのものなので、混同されているかもしれません。返還されたのでない限り、コンウェイ1906-1921の中国の項にあるはずはなく、それについての記載は見当たりません。装甲を持つ有力艦を返すとも思えないので、捕獲は誤りかもしれません。

    >装甲艦らしくない活動
     200ないし300トンで装甲を張ったレンデル砲艦が、台湾海峡を渡るとはちょっと考えられません。できないとまでは言いませんが、渡る意味がありません。対要塞、対装甲艦用の専用艦ですから、巡洋艦任務に向くとは思えないのです。乗員40人では、陸戦隊を出す余裕もないでしょうし。
     こちらの本では Peiho の警備にあてられたとあります。他の艦じゃありませんか?>奈良の人
    志郎@忘年会帰り

  6. もちろんナオンの部屋とかじゃないです(泣)

    記述はホンの一行なので正確なところは不明です。
    ただ台湾には要塞とまでは言わないまでも、一部沿岸にはオランダ人や中国人自身の構築した沿岸防御施設があるので「装甲艦らしい仕事」が期待された可能性も全くなかった訳じゃないような気もしますが、自分でもあんまり信じられないです。
    多分、参加しても不逞住民に対する顔見せ興業だったんだろうと思います。
    奈良の人@泊まり

  7. >志郎さん・奈良の人さん
    情報を提供していただき、ありがとうございます。

    >The Chinese Steam Navy
    ああぁ!1年前にこれ買うつもりだったんじゃない!
    けど本代がもう無い!(号泣@ゴミですみません)
    さいどわ


Back