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1435  八八艦隊計画の神風級以降の「大型」駆逐艦と若竹級「中型」駆逐艦について疑問があります。
 1、これらが艦名を番号にすると決定されたのはいつでしょうか?
 2、若竹級が13隻で打ち切られる(つまり大正9年予算の10隻を中止する、ということか?)と決まったのはいつでしょうか? 質問1との前後関係が気になります。
 3、中型(若竹級)が減った分、大型駆逐艦は増やされたのでしょうか? 増えたとしたらその数は何隻でしょうか?
 4、大型は何隻目から睦月級(峯風系列の船体に21インチ魚雷を積んだもの)に移行するつもりだったのでしょうか?
 5、神風級4・5番艦(松風・旗風)は大正9年予算で建造されたことになっています。なぜ大正7年予算ではないのでしょう? 大正7年予算で建造された峯風級(野風級含む)は6隻、この予算の大型駆逐艦が11隻、ゆえに神風級の最初5隻(番号1・3・5・7・9)は7年予算から支出されるべき、とおもうのですが。
井中かえる

  1.  大量の質問ですが、質問5以外は関係が深いと思いますので。
     また、訂正ですが、質問4中の「21インチ魚雷」は「24インチ〜」です。21インチでは神風級ではないですか。
    井中かえる

  2. 質問5について,私の知る限りでは峯風型は大正6年度計画で9隻,7年度計画で6隻,計15隻。神風型は,7年度計画で3隻,9年度計画で2隻,12年度計画で4隻の計9隻。すなわち7年度計画の大型駆逐艦は9隻だと思うのですが…。ちなみに睦月型は12隻全部,大正12年度計画。
    質問4について,八八艦隊計画では神風型27隻の建造が計画されていた。大正12年のワシントン条約の影響により,計画が破棄されてから睦月型に移行したのでは…。回答になってないかも
    痴呆公務員

  3. 2,3ですが、単に造船所のスケジュールがパンクしただけなんじゃないかと想像しますが(ぉぃ
    浦賀や横浜船渠が巡洋艦に持っていかれてますから(しかも計画年度と起工時期がかなりずれ始めている)

    ただ、確証は持ってません

    4は61cm魚雷の完成以降の限の良い数字で切り替わったのではないかと思います
    史実では長良(大正6年計画)からになってますが長良の起工は大正9年ですから
    軍縮条約等の騒ぎが無かったら9年度計画艦の後期から入ったかもしれません
    このあたりは調べてみないと断言出来ませんが

    5は判りません
    予算が足りなくなったとか言う落ちだったら困りますが・・・

    SUDO

  4.  学研の「特型駆逐艦」に、当時の公文書を基にした論文が掲載されていますね。考察の中身はともかくとして、質問に対する答えはある程度出ていると思います。
    tackow

  5. >2
     痴呆公務員さんへ。その計画と隻数の関係は実際にできたものだけです。最初の予算とは異なります。また、神風型・27隻というのも、艦型については中型打ち切りの理由が24インチ魚雷搭載駆逐艦への集中というものでしたので(確か「特型駆逐艦」が出典だとおもうのだけれど)、正確に言えば神風型ではなく大型(ここでは峯風系列)を建造することを意味するのだと思います。隻数については大正7年度の大型の残り5隻と9年度の22隻を単に足し合わせたものではないでしょうか。
     ただ、気になるのが遠藤昭氏が「駆逐艦戦隊」の中で四十数番(よくわからない数字ですがそう書いてあるのだからしょうがない)まで建造命令が発せられたと書いている点です。中型13隻に大型27隻を足し合わせると40になるので、ゆえに大型が増やされたのかな、とも思うのですが、確証が持てないのです。
    井中かえる

  6.  明確な答えを持った方が出ていらっしゃらないので、とりあえず現在私に分かっていることを全部書いておきます。
     1について。大正10年10月12日以降起工の駆逐艦が番号名にされたそうです(堀元美「駆逐艦」より)。妙に細かいことから何か根拠があるのでしょうが、とりあえず分かることは決定はこの日以前だろう、ということだけです。
     2について。大正9年9月に軍令部が駆逐艦の魚雷を大型にしたい、と提案したのがきっかけのようです(学研「特型駆逐艦」より)。ただし原文では魚雷が23インチとなっています(61センチは24インチ)。単なる計算ミスなのか何か根拠があるのかは不明です。
     3について。上の5に書いたこと以外知りません。
     4について。同じく「特型駆逐艦」より、大正10年度以降起工予定の大型27・中型31(つじつまから言うと21ではないか)のうち大型9・中型8を当面の艦型のまま建造することになったそうです。また牧野茂「艦船ノート」によると大正10年一杯をかけて峯風系列の船体に61センチ魚雷発射管を積む設計がおこなわれたそうです。ただし問題はそれが計画番号F41Dとなっている点です。睦月級は同Eというのが定説です。
     5について。わかりません。ただ樅級21隻のうち14・15・19番艦(蔦・葦・蓬)だけが大正7年度予算艦となっています。この番号の乱れはなになんでしょう。例えば戦艦長門が一号艦、18インチ砲を積んだといわれる幻の巡洋戦艦が13号艦級とよばれるように、駆逐艦にも計画上仮艦名として番号がついていただろうと思うのですが、これらの場合どうなっていたのか誰か知りませんか?
    井中かえる

  7.  上の1に追加です。この日付は神風級・若竹級の一番艦(ともにネームシップ)の起工日とは異なります。起工日は、若竹が大正13年12月13日、神風が同15日です。
    井中かえる

  8. ↑間違えました。「大正10年〜」です。
    井中かえる


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