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1487 (兄同様)あまり戦史に詳しくない者からの、以前から疑問に思っている質問があります。「大和」沖縄特攻のさい、随伴して撃沈された軽巡「矢矧」についてです。「矢矧」は「阿賀野」型の新鋭艦だったと思うのですが、なぜ日本側からみても失敗の見えているこの作戦に投入されたのでしょうか?沖縄に突入して砲を打ちまくるつもりなら、重油が不足しているとはいえ、他にまだ残っていた戦艦や重巡を使えば良いのではないか、しかも大和以外は駆逐艦ばかりなのに、と単純に考えてしまいます。ご教示ください。
わからん!の弟

  1. いくらなんでも、沖縄まで潜水艦や航空機の攻撃を一切受けないという前提で作戦が立てられたわけではないでしょうから、「大和」を護衛する駆逐艦が必要であり、そしてこの駆逐艦を指揮するため、水雷戦隊の旗艦として建造された「矢矧」が必要だったからではないかと思うのですが・・・。
    詳しい方フォローお願いします。
    T216

  2. 大和の護衛に付いた水雷戦隊の旗艦が矢矧だったのです。大和の目的は主砲による敵陸上部隊の砲撃ですが、水雷戦隊は大和の護衛と、敵艦船と遭遇した場合に最後の雷撃戦を敢行することでした。そのため、国内(呉地区)に残存した駆逐艦から、出撃する駆逐艦へ魚雷を移載しました。
    GO

  3. 基本的に、1&2のお二方が述べられたとおりなのですが

    日本軍も含めた当時の一般的な艦隊構成では
    主力の殴る奴(戦艦や重巡)と各種の支援や護衛も兼ねるもの(軽巡や汎用大型駆逐艦)というスタイルだったのです

    小回りがきいて、大抵の事はなんでもできる巡洋艦以下の艦艇は艦隊には無くてはならない物でした
    何か妙な事が有ったらとりあえず誰かを派遣して「ちょっと見て来い」とかも出来ますし
    警戒航行では各艦が広がって遠くまでの見張りを行います
    大事なのは数や数を前提としたフォーメーションを組める部隊になります

    大和+第二水雷戦隊の構成と大和単独、第二水雷戦隊だけの3つを比較した場合
    戦艦単独は突発事態に対応できない、遠くまで見張りが出来ない
    はっきり言って役立たずになります
    反対に第二水雷戦隊単独でも多少打撃力が足りませんが総合戦力では実は大差無し
    ですが二水戦では地上砲撃には無力に近いので、大和を加えれば総合戦力最高となるのです
    この二水戦を重巡や戦艦に置き換えた場合、ドンクサイのが沢山になるだけで
    実は殆ど役立たずのままで終わります

    打撃力も速力も、そして頭数も、それなりの理由があって付与されており
    そして、それは艦隊という大きなシステムの中の一つの要素機能として存在しているのです

    大和は強力な戦艦ですが、所詮は戦艦であり、また一隻では出来る事に限りが在るのです
    大和の出撃に際しては、その足りない機能を第二水雷戦隊を加えることで補ったのです
    確かに他に戦艦が居れば打撃力は強化されるのですが
    足りないのは打撃力ではなくて他の機能、特に頭数の部分だったのです

    SUDO

  4. 便乗です。長いこと疑問だったのですが、「大和」沖縄特攻時に燃料は往復分あったという話と、片道分だけだったという話両方聞いたことがあるのですがどっちがホントなんでしょうか?
    Vinegar-Joe

  5.  質問された方の疑問も当然なのですが、この場合、「残っていた」戦艦や巡洋艦が無かった。という事になると思います。

     当時、機動的な作戦に充当できる水上兵力は第二艦隊だけで、沖縄に突入したのは、その殆ど全てです。第二艦隊は一航戦と二水戦とで構成されていましたが。一航戦の所属艦は大和の他は空母ですから、突入作戦には行くだけ無駄ですよね。

     その他の大型艦(戦艦、巡洋艦)は軍港には係留されていましたが、燃料その他の関係で予備艦扱いあるいは防空砲台になっており、外洋で作戦行動が出来る状態ではありませんでした。
     それでは、何故大和が大型艦の中でも動かせる状態にあったか?ですが、昭和20年の早い時期、既に「大和を旗艦とした第二艦隊を特攻的に使いたい」とか「牽制作戦に使いたい」というような考えがあったようです。
    tackow

  6. >4
    限りなく片道に近いと判断してます。
    そると1号

  7. >4.6

    大和艦隊の燃料の件、過去ログでやってます。
    結論としては、片道どころか何往復もできるくらいの燃料を持っていったみたいです。
    ンで、海防艦に回す燃料がなくなって、海上護衛が破綻するオチまでつきます。
    勝井

  8. >4

     こんなん過去ログから出てきましたけど。
     http://www.warbirds.nu/ansq/2/B2000425.html

     他にも色々あるようですぜ。

    ooi

  9. 見ても勝井山の「意見」しか無いような・・・(笑)
    過去ログにあろうがなかろうが、大和の燃料の件、再検討しても別におかしくないと思います。
    BUN

  10. 回答ありがとうございます(過去ログの検索をまじめにしない面倒くさがりの私)
    Vinegar-Joe

  11. 便乗質問です。素人考えなんですが、レイテ突入作戦の時には極めて大規模かつ複雑な陽動作戦を行ったにもかかわらず、大和沖縄特攻の際にはまったく”陽動”などは行われなかったのでしょうか?対して役に立たないと分かっていても別進路から数隻の艦隊を派遣するだけで米機動部隊艦載機を二分でき、本隊に対する被害も半減すると思うのですが?やはり燃料事情や編成の問題がネックになるのでしょうか?
    げるぐぐ

  12. >11
    正確なところは調べていませんが
    同時期に大規模な空襲部隊が出ていると思います
    そっちが本命だったんじゃ・・・
    SUDO

  13. >11.
    かなり大掛かりな協同作戦でしたよ。予定では…

    天一号作戦(敵沖縄上陸邀撃作戦)
    第三十二軍が4月7日を攻撃開始と決したため、
    4月6日〜8日をもって陸海軍協同による作戦を開始。

    海軍航空隊、六航軍、陸軍第八飛行師団の基地航空部隊による周辺艦船への航空攻撃
    沖縄守備隊(第三十二軍)の総攻撃
    菊水一号作戦(沖縄の米軍に対する航空特攻)
    第一遊撃部隊突入作戦(大和以下の水上特攻)

    これらをすべて並行して行う予定でした。
    しかし実際連携できたのは水上特攻と基地航空隊の攻撃のみ。
    ただし天候による視界不良のため出撃機数は大和が沈没した4月7日が最低。
    また、この作戦では陸海軍の意思の疎通が不十分だったにも関わらず、全ての部隊が予定通りに行動するものという前提のもとに行われたため、第一遊撃部隊については天候、敵情、戦局推移等にかかわりなく突入日時、進路、作戦細目が一方的に決められていました。
    実際、協同作戦の主要であった三十二軍の総反攻については、悪天候などを理由に4月12日に延期されていたのですが…
    対する米軍が第一遊撃部隊の構成、出撃日時、航路、目的まで暗号解読により把握していたのとは対照的です。
    (出展:ドキュメント戦艦大和)


    きん


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