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1516 日露戦争当時の日本戦艦は、前後に砲塔を1基ずつ搭載しておりますが、なぜ大和のように、背負い式に、つまり前後に段差のある砲塔を搭載していないのでしょうか?まだ技術が、進んでいなかったからでしょうか?また、砲塔が、背負い式になった経緯と、誰が発案したのかを、教えていただければ幸いと存じます。
turugi

  1. ものスゲエ単純な理由で、砲塔一基よか二基のほうが重たいんです
    大砲の数は威力と完全なイコールではありません
    同じ重量を使うなら、単装砲一基が威力最大になります>戦車の砲塔です

    ですが、艦船の場合戦車のような中央配置が中々難しく
    戦術的要求からは前後左右に撃てないと不便です
    よって、前後にあのような形で砲塔を配備するのが、重量と威力の妥協点だったのです

    また連装砲であるのは射撃速度や命中率が低いからというのも有ります
    一つの照準で2発撃てるので多少は効率が良いわけです
    それと技術的にあれよりもでかい大砲を上手く作れ無かったのもあるでしょう

    つまり、日露戦争時の戦艦は、なるべく少ない重量で最大限の威力を発揮させる為にああなってるのです

    背負い式配置は米国のサウスカロライナからです
    彼女も含まれるこの規模の戦艦を「弩級戦艦」と言いますが
    このあたりから、砲塔単位で狙うのではなく全主砲を使った射撃に移行します
    これによって従来はろくに狙えなかった遠距離でも狙え、当たるようになります
    この射撃方法には多数の主砲が必要であり
    結果として、この世代からは色々工夫して主砲塔を沢山積むようになります
    他国に先駆けて米国が背負い式配置に踏み込めた理由は
    副砲をなんとか沢山積もうとして砲塔を二階建てにしたり等の工夫をした経験が生きているのだと思われます

    SUDO

  2. 背負い式にするとトップヘビーとなり復元性能に悪影響がでます。大和はそのためわざわざ艦首から砲塔前部にかけて傾斜(横から見ると凹)が施されているのです。



  3. 私なんかでいいですか?
    主砲の背負い式配置ですが、計画案だけならかなり早くの時期から検討はされています。
    日露戦争中の1904年には、近藤基樹造船大監の指導と金田(下の名前はわかりません)技師の作図による「戦艦試案」なるものがあります。
    連装主砲を前後に二基ずつ割り振った当時としては斬新な設計でしたが、爆風が全く未知数なものになることから断念され、中間砲を装備した従来型で世界最強級の薩摩型の建造となりました。
    また、ほぼ同じ時期に建造された米戦艦の中には砲塔を二階建てにした艦があるのですが、背負い配置が行えたのであればこんなややこしい配置は採らなかったでしょう。
    さらに時代は下って、1911年完成の英戦艦ネプチューンは英戦艦としては始めての背負い式配置を行いましたが、当の背負い配置となった四、五番砲塔が爆風の干渉問題を起こしています。
    世界初の背負い式配置戦艦のサウスカロライナが物凄く気になるところですが…
    烈風天駆

  4. 金田さんと言ったら50万トン戦艦(だっけ?)で有名な方ですかね。
    確かその「戦艦試案」は同じ高さに装備されてますから正しい意味での背負い式ではありません。
    二階建てに関する考察はSUDO先生が正しいはずです。米海軍はこの時の研究で潜望鏡式の照準具を開発していたので、それを持たないイギリスより先んじる事ができたのです。
    紙上プランで良いのならジェーン海軍年鑑1903年版に掲載されたイタリア海軍クニベリティ造船大佐による「イギリス海軍新戦艦に対する提案」が早い部類でしょう。ドレッドノート建造のきっかけになった本プランは、前後砲塔こそ背負い式ではありませんが、両舷側に配された砲塔群が背負い式になっています。
    あ、でも舷側でなら準弩級戦艦や装甲巡洋艦でもありそうな・・・
    戦艦乞食

  5. ↑アメさんはこのクラスに関しては特に爆風問題は起きてないと言ってますよ。
    大塚好古

  6.  技術の進歩の問題です。1859年に完成した仏のグロアール以後、1892年に最初の近代戦艦とされる英のロイアル・サブリンが竣工するまでの装甲艦の時代がありました。その頃の砲塔は非常に重く高い位置に装備することが出来ませんでした。そのため艦舷が低く航洋性が低いものでした。
     ロイアル・サブリンは露砲塔式であることを除けば「三笠」などでおなじみの前後に連装砲塔を設けた艦形になっていました。その後、副砲の砲塔化大口径化(中間砲)などがあり1906年に単一巨砲搭載艦ドレッドノートの登場となったのです。弩級艦も初期の艦は主砲塔を背負い式には配置しておりません。これは発砲の際の爆風が砲塔内の砲員に衝撃を与えるなどの影響が懸念されたためです。
     アメリカは弩級艦を最初から背負い式配置で建造しますが(1910年)、これは戦艦時代に副砲を主砲の上に乗せる二階建ての砲塔を搭載するキアサージ級(1900年)、ヴァージニア級(1906年)を建造した経験が活かされたものです。
     砲塔の背負い式配置の発案者は調べていませんので分りません。

    塵:禁RESしようと思ったのに3時間しか出来なかった。それにもうこんなに答えられてるし。
    波タカシ

  7. ↑上は烈風君へのレスね。あと紙上で良いんなら1902年にUSNIの機関誌であるProceeding上で
    行われた米戦艦に関する研究論文で中心線配備/背負式の単一巨砲艦の論議がされているそうです。
    大塚好古

  8. ゴミ:上で 早い「部類」です にして良かった・・・
    戦艦乞食

  9. 回答していただきありがとうございました。
    turugi

  10. ↑7 うむ、日本語がおかしい(笑)。「1902年にUSNIの機関誌であるProceeding上に掲載された
    米戦艦に関する一連の研究論文の中で中心線配備/背負式の単一巨砲艦の論議がされている
    そうです」に修正(笑)。

     最後に付記すると、アメリカがサウスカロライナで背負い式配置を採用したのは、予算その他の
    兼ね合いで計画排水量上限を16000tとされたのも影響しています。何とか詰め込まないとその排水量で
    収まらなかったので、勢い背負い配置にせざるを得なくなったと(笑)。
    その前に見られた砲塔多段積みも、船体を大型化出来なかった為の苦肉の策である、と見る人も居ますね。
    大塚好古

  11.  事実上の連続質問を失礼します。
     背負い式砲塔の採用を躊躇った要因の1つとして、1発の砲弾で、2基の砲塔が
    使用不能になる可能性があるからという話を読んだことがありますが、これは私の
    記憶違いでしょうか。結局、火力と防御力のジレンマもあり(背負い式に砲塔を配
    置することにより、防御区間を短縮できる)、背負い式砲塔の採用を行うようにな
    ったそうですが、これは本当なのでしょうか。手元に資料が無く、記憶違いでした
    ら、すいません。
    山家

  12. 11.>1発の砲弾で、2基の砲塔が使用不能になる可能性があるからという
     世艦別「近代戦艦史」p.178に同様の記述があります。また、このページに各国海軍の弩級艦の主砲配置の優劣の分析がなされており興味深いところです。

    3.5.>四、五番砲塔が爆風の干渉問題を起こしています。
     世艦別「イギリス戦艦史」p.153〜に「背負い式を避けた理由は、砲塔の前部に砲塔長の頭越しに射つと爆風で危険だったからであった。…(中略)…観測塔の問題から4番砲塔は正艦尾方向には射撃できなかった。…(中略)…観測塔が問題とされなくなったのは、方位盤射撃装置が実用化して砲塔内で観測する必要が減ったからであろう。」という記述があります。アメリカ艦で問題にならなかった理由は 4.で戦艦乞食さんが述べている理由によるものと思います。
     
    波タカシ

  13.  観測員に対する爆風問題はサウスカロライナでも生じており、砲塔下で観測していた観測員が
    死傷する、という問題が発生しています。このため以後アメリカ戦艦は背負式の上部側砲塔に
    測距儀を装備して砲撃観測するように改めてます。

     …つーことは砲塔下の露天に立って観測してたのか?(´▽`; )>アメリカ戦艦
    潜望鏡式観測鏡を作りたくなるのも分かるなあ(笑)。
    大塚好古

  14. 3.で烈風天駆さんが例に出された「戦艦試案」近藤基樹造船大監の指導のもと、作図した金田技師は、4で私が指摘した名物男金田秀太郎中佐(最終、中将)とは全く赤の他人の金田和三郎技師でした。伏してお詫び申し上げます(泣)
    戦艦乞食

  15. >11.背負い式砲塔の採用を躊躇った要因の1つとして、1発の砲弾で、2基の砲塔が使用不能になる可能性があるからという話を読んだことがありますが、これは私の記憶違いでしょうか。

    いいえ、山家さんのご記憶が正しいのです。実際ジュットランド海戦においてザイドリッツの背負い式後部砲塔が一発の被弾で2基一遍に使用不能になりました。これは砲塔が隣接している場合、船体内部の弾火薬庫も隣接しているか共用しているため生じる事です。同じ海戦でデアフリンガ−の背負い式砲塔は間隔が開いているため2砲塔同時不能にはなりませんでした。
    また、これは「かごの中に幾つの卵をいれるか?」と形容される問題で多連装砲塔についても言える事です。なるべく一箇所に危ないものを集めて重防御させるのと、危険なものを少しずつ散らばらせて一回の被害を局限させるのはどちらが正しいのかと言う問題です。この問題で各国海軍が出したそれぞれの回答は、実際建造された戦艦などによって提出されています。こう云う事を検討思索するのも軍艦ファンの醍醐味の一つではないでしょうか。
    戦艦乞食

  16. >15.いいえ、山家さんのご記憶が正しいのです。実際ジュットランド海戦においてザイドリッツの背負い式後部砲塔が一発の被弾で2基一遍に使用不能になりました。

    いいえ、山家さんのご記憶が正しいのですが、私の記憶が誤りです。
    「実際ドッガ−バンク海戦においてザイドリッツの背負い式後部砲塔が一発の被弾で2基一遍に使用不能になりました。」が正しい文章です。

    ついでに、
    >15.同じ海戦でデアフリンガ−の背負い式砲塔は間隔が開いているため2砲塔同時不能にはなりませんでした。
    「ジュットランド海戦でデアフリンガ−の背負い式砲塔は間隔が開いているため2砲塔同時不能にはなりませんでした。」に書き換え。

    すみません。キングストン弁、開いてきます・・・


    戦艦乞食

  17.  どうも、いろいろと親切に回答していただきありがとうございます。
    山家


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