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1583 海防艦75号について質問です。この艦は終戦を北海道で迎えた後、8月23日に北陸方面で自沈しています。手持ちの資料に機雷に触れた等の記述がないので自沈の理由がわかりません。教えていただけないでしょうか?
A-140

  1. 日本海軍艦艇図面集の海防艦75号の項目は1945/08/10大泊出港で未帰還、8/23喪失認定で
    恐らく触雷と書かれていますね。

    ルージュ

  2. 文字化けしました
    8/23喪失認定です。
    ルージュ

  3. 海防艦戦記(発行 原書房、海防艦顕彰会)によると、海防艦75号は、
    『8月22日 総員集合、本艦の自決処分について准士官以上会議の結果を報告し、各員に復員について通達、一部復員開始。』
    と記載しているだけで、自沈はキングストン弁を開いて行われたようですが、自沈の理由などは述べられていません。
    その前に、
    『8月15日 終戦の詔勅ならびに終戦処理についての指示の電報を受け、総員に通達す。』
    との記述があり自沈と何か関連があるかもしれません。
    masaki ogasawara

  4. ご回答、ありがとうございました。

    資料によって記述が異なったり、自沈の理由が語られていないところが、このことに隠された事実がある証拠のような気もします。機会があれば調べてみたいです。
    A-140

  5. 海防艦戦記は「(特定の人物の独断によらず)准士官以上会議を開いて自沈処分を合意決定し、乗組員全員に通知した後処分を行った。乗組員は(徹底抗戦/降伏戦闘放棄いずれの反対もなく)退船した。」と明記しているもので、理由は謎でも何でもありません。同朋に一死大罪を謝し降伏を潔しとしなかった旧軍人の自決の一種と理解ください。また、ソビエト(もうない国だ)による日本海での小笠原丸撃沈ほか千島方面での戦闘も続き、ソビエト側に戦闘艦のまま引き渡される恐れもあると考えたのではないかと思います。今日(現代日本人)的感覚から見ると理解し難い国民財産の不法私的処分に見えるのかもしれませんね。
    IWA


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