QQCCMMVVGGTT
1678 日本からタイ海軍に輸出された、20cm(50口径)連装砲ニ基を搭載した
海防戦艦「トンブリ」級について教えて下さい。
 できれば、製作した造船所、姉妹艦を教えていただけると幸いです。

K−SYAN

  1. SRI AYUTAYA class Coastal defence ship:

    Displacement:2265t
    Dimensions:76.5x14.4x4.2m
    Machinery:2 shafts,MAN Diesels,5200bhp = 15.5kts,Fuel Oil 150t
    Armour:Belt 2.5in,turret 1in,barbettes 4in,deck 1-1.5in
    Armament:4-8in(2x2),4-3inAA(4x1)4-40mmAA(4x1)
    Complement:155

    SRI AYUTAYA:(Builder:Kobe、KAWASAKI)launched:1937/7/21,Completed:1938/6/16
    Fate:Sunk 1951/7/3
    Dhonburi :(Builder:Kobe、KAWASAKI)launched:1938/1/31,Completed:1938/8/5
    Fate:Sunk 1941/1/17

    Designed and built in Japan these ships were similar in principle to the Ratanakasindra class but much larger,more powerful vessels.Laid down in 1936 they were completed 1938/6/16 and 1938/8/5 respectively.Side armour was fitted abreast the machinery compartments only and the barbettes extended down to the lower deck.A complete main armament control systems was provided with a DCT mounted on a tower above the bridge.The 3in AA guns were mounted on the forward shelter deck.
    Both were heavily damaged and beached in action with the French cruiser Lamotte Picquet and other French vessels in the Gulf of Siam on the night 16/17 January 1941.Ayutaya was later refloated and repaired in Japan by the end of 1941,but Dhonburi capsized and sank while under tow after being refloated.The Ayutaya was later sunk by Siamese Army artillery on 1951/7/3 during a revolution and the wrecks of vessels ware later raised and scrapped.
    Boffin

  2. すいません、できれば日本語でお願い致します
    1678

  3. 解説文らしきものを翻訳サービスで翻訳してみました。概要がつかめるかどうか
    というレベルですがないよりましかと。翻訳精度に関しての突っ込みは勘弁してください(^_^;)

    これらの船が類似した日本で設計され構築された、Ratanakasindraクラスだがはるかに大きくより強力な船への原理。1936年の中に下へ置かれた、それらはそれぞれ完成した1938/6/16および1938/8/5でした。側面の外装は並んで適合されました、機械類コンパートメント、および下甲板まで拡張された銃座のみ。1つの、完全なメイン軍備コントロールシステム、DCTを供給された、ブリッジの上のタワー上で増大しました。3in AA銃は前方の保護デッキにマウントされました。両方は、夜16/17 1月の1941.の上のシャム湾で、フランスのクルーザーLamotte杭を備えたアクションおよび他のフランスの容器で極度に破損され浜に引き上げられました。Ayutayaは、1941年末までに日本でその後再び浮き上がらせられ修理されました。しかし、再び浮き上がらせられた後の曳航の下でいる間、Dhonburiは覆り沈みました。Ayutayaは、上げられ廃棄されて、1951/7/3に革命および容器製品の破壊にシャムの軍隊砲によってその後その後沈められました。


    ゼンガー

  4. ↑↑訳すのがよいかどうか多少疑問なうえに、一部不明瞭ですが、

    SRI AYUTAYA級 海防艦

    排水量:2265t
    艦体:76.5×14.4×4.2m
    機関:2軸、MAN式ディーゼル、5200bph(15.5kts)燃料油150t
    装甲:装甲帯2.5in、砲塔1in、バーベット4in、甲板1〜1.5in
    武装:8in砲4門(2×2)、3in対空砲4門(4×1)、40mm対空砲4門(4×1)
    乗員:155名

    SRI AYUTAYA(神戸川崎造船所)1937年7月21日進水、1938年6月16日完成
    1951年7月3日沈没
    Dhonburi(神戸川崎造船所)1938年1月31日進水、1938年8月5日完成
    1941年1月17日沈没

    日本で設計、建造され、Ratanakasindra classと似た理念による艦であるが、より大型で強力である。1936年に起工、各艦はそれぞれ1938年6月16日および同年8月5日に完成された。舷側装甲は機関部に沿ってのみ存在し、またバーベットは下甲板まで伸ばされていた。DCTを備えた主火器管制装置は艦橋上に設置され、3インチ対空砲は前方シェルターデッキ上に配置されている。両艦はともに1941年1月16〜17日の夜間、シャム湾上で巡洋艦Lamotte Picquet他のフランス艦隊と交戦しダメージを受け、岸に乗り上げた状態となった。Ayutayaは1941年末までに再浮揚され、日本で修理されたが、Dhunburiは浮揚、曳航の際に転覆、沈没した。後に1951年7月3日、革命の最中、Ayutayaはシャム軍の砲撃により沈められ、これら艦の残骸は後年引揚げられてスクラップにされるところとなった。

    こんな感じでしょうか。DCTって何です? (^^;
    MB

  5. もう少しましに訳して見ましょう(どうせ英語ゼミの翻訳中)。

    スリ・アユタヤ級海防艦
    排水量:2265トン
    全長:76.5m 全幅:14.4m 船体高さ:4.2m
    主機:MAN社製ディーゼル、5200馬力?、2軸
    最高速:15.5kt 燃料:重油(?)100t
    装甲:舷側2.5インチ、砲塔1インチ、バーベット4インチ、デッキ1〜1.5インチ
    武装:8インチ砲連装2基4門、3インチ高角砲単装4基4門、40mm機銃単装4基4門
    乗員:155名

    スリ・アユタヤ
    神戸(川崎造船所?)にて建造、1937年7月建造開始、翌年6月竣工、1951年7月沈没

    トンブリ
    神戸にて建造、1938年1月建造開始、同年8月竣工、1941年1月17日沈没

    日本で設計・製造された両艦は、以前の「ラタナカシンドラ」(?)級に準じた設計だが、より大きく、かつ強力な艦艇である。1936年に発注され、1938年に両艦とも完成した。
    舷側装甲はエンジン部分周辺のみに施されており、また砲塔は下甲板に装備されていた。全ての火器制御は、艦橋上部の塔にあるDCT(?)によって行われる。3インチ高角砲は前部の遮蔽甲板に装備されている。
    両艦は、1941年1月16〜17日のシャム湾海戦で、フランス巡洋艦「ラモット・ピケ」をはじめとする艦艇と戦い、かなりな損傷を負って座礁した。「スリ・アユタヤ」の方は、同年末に日本軍が浮揚・修理したが、「トンブリ」のほうは再浮揚後の曳航中に転覆、沈没した。
    その後、1951年7月3日(革命期間中?)に「アユタヤ」はシャム陸軍の砲によって沈められ、のちに船体は引き上げられてスクラップになった。
    zono

  6. >4
     ほとんど同時でしたね…(汗
     MBさんの訳文のほうが正確に思えます…。
    zono

  7. 何処かの海外インターネットサイトで見たのですが、「トンブリ」の艦橋と砲は、タイの何処かの公園に設置して現存しているようです。
    masaki ogasawara

  8. 管理人さま、お手数をおかけしました(汗)。m(_ _)m

    >6
    zonoさん、かぶってすんませんでした。正確云々は勘弁してやって下さい。

    「DCT」はdirection control towerですか。方位盤のことかしら。
    この艦型の砲塔は、妙高型の流用だったかな。毎度あいまいで失礼。 (^^;
    MB

  9. >8
     砲塔については赤城と加賀の改装で余剰になった連装砲塔を流用したのでは。確かソノラマ文庫「撃沈戦記」のトンブリの章には、そのような記述になっていたような覚えが・・・。
    ヴェトミン

  10. >9
    、光人社NF文庫「欧州海戦記、著者 木俣滋郎」の「トンブリ」の項を引用すると、
    「この20センチ砲は3年式50口径砲で、一説には空母「赤城」の改造の際に撤去したものを流用したとも言われている。連装砲塔も重巡「妙高」級のものと同型であった。」
    とありました。
     トンブリの写真などを見ても、「妙高」に類似の外形をしており、「赤城」から撤去されたものをそのままでは無いようです。
     また、予備砲身かどうかは分りませんが、新製の砲身も12本納入されたようです。
    masaki ogasawara

  11. >9、10
    フォロー感謝です。

    MB

  12.  皆様、私めの為に情報を集めてくださって感謝します。
    ありがとうございました。
    K−SYAN


Back