QQCCMMVVGGTT
1736  日本の軍艦にはその船に関係のある神社から分霊して祀っていたそうですが、どの船が何処の神社から分霊していたのでしょうか?
 また、艦内で神社を置く場所に決まりがあったのか、祭事についてはどのように行っていたのか等、軍艦の神社に関することについてご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
WC-Co

  1. No.1693と同じ質問では?
    Lachesis

  2. NO.1693の質問者です、皆様に教えていただき調べることが出来ましたので、こちらに書かせて頂きます。
    まず資料は、神社本庁にたずねたところ防衛庁にあるといわれたので、恵比寿で掘り返しました。
    わかったことは、三笠には天照が奉られている。
    新月にも天照が奉られていた。
    足利には、矢倉神社(今は足利神社)の日本武尊が奉られていた。
    山城には、岩清水八幡宮の応神天皇が奉られていた。
    三隈には、大原八幡宮の応神天皇が奉られていた。
    竣工式に、分霊もとの神社より神主をまねき鎮座祭を行った。
    新月は、鎮座祭は行われたが、神主は呼んでいない。
    神社の管理は副長が行った。(おそらく、副長付きの水兵の仕事だったと思われる、駆逐艦等は不明)
    以上です。

    それで、便乗質問なんですが、どなたか長門神社がどうなったかご存知の方おられませんか、まさかビキニに沈んでるなんて、罰当たりな事になってたらどうしよう。
    防研にも資料が無く困っています、あとは神社を調べるしかないので、山口在住の方で長門に奉られていそうな神様をご存知の方はいないでしょうか合わせてお願いします
    中村

  3. 中村様、よくぞそこまで調べられました。
    ありがとうございます。
    長門については、住吉神社なのかなぁ・・と思ってはいるんですけれども・・。
    全く手をつけていないので恥ずかしいのですが、神社側の記録を調査すべきなのかもしれません。
    BUN

  4. BUN様、ほめられると照れてしまいます。
    住吉・・・長門一ノ宮ですね、たしかに戦艦は一ノ宮の可能性が一番高いですね、しかし下関では、今すぐ行くというわけにはいかないので、折をみて参拝したいと思います。
    とりあえず、夏の間に、武蔵一ノ宮ぐらいは詣でたいですね。
    まだまだ未熟者ですので、今後ともご教示のほどよろしくお願いします。
    中村

  5.  一応、同じ質問がないか確認してみたのですが、気が付きませんでした。お手数をおかけいたしました。そして色々と有り難うございます。
    WC-Co

  6. 勉強になります。m(__)m
    以下、こちらの皆様には、まったくの蛇足と思いますですが(汗)。
    応神天皇は八幡神と同体、別名ホンダワケノミコトでもあって、八幡神の総本社はご存知のとおり大分県の宇佐八幡宮ですね。元寇の暴風雨も八幡神の神威とされ、敵国降伏の軍神です。大戦中に複数見られた「南無八幡大菩薩」の幟における「大菩薩」は、神仏習合の結果。岩清水八幡宮で京の都を守護したことで、皇祖神にして軍神という、朝廷としては伊勢と並ぶ重要な守護神・神社でもあるわけで。
    MB

  7. 参考になるかどうかわかりませんけども

    榛名神社顛末
    大正4年4月19日、榛名竣工
    大正4年10月10日、舟越艦長(初代)以下8名が榛名神社本殿にて御分霊を拝受
    同年10月12日、艦内社殿に奉祀
    昭和20、総員退艦時に吉村艦長(38代、最後)が捧持保護
    同年8月23日江田島鎮守八幡神社に保管を委託
    昭和30年7月28日、吉村元艦長が江田島八幡宮より榛名御分霊を奉迎
    同年7月30日、舟越元艦長、吉村元艦長ら有志をもって榛名神社に奉還
    なお奉還に際しては「敗戦でも御神体は凱旋」とされ、厳粛に御帰還の神式が執り行われた

    いじょ。
    捨て猫


Back