QQCCMMVVGGTT
1800 模型を作るにあたって、旧日本海軍の巡洋艦・駆逐艦の甲板材について悩んでいます。
最近の資料では、重巡・軽巡・駆逐艦ともに最上甲板はリノリウム張り(部分的に鉄張り)になってます。

1 昔のウォーターラインシリーズとかの解説では、駆逐艦や5,500t軽巡は「鉄張り」となっていたのを思い出したので、写真をいろいろ見直してみました。
ほとんどの艦で船体を横切る押さえ金具を確認できましたが、松型については写真資料を持っていなくて確認できませんでした。松型の甲板材もやはりリノリウムだったのでしょうか?

2 「大戦後半には不燃化対策としてリノリウムは剥がした」いう話を時々見かけます。この指示なり通達なりはいつごろ出されたものなのでしょうか?
(その指示を境に甲板色が茶色からグレーに変わっていったと考えて、時期によって甲板色を変えてみようかなと思っています。ただ、剥がしたのは艦内のみという説も見たことがあり悩ましいところです。)

長くなりましたがよろしくお願いします。

SETO

  1. 1について。
    昔のウォーターラインシリーズの説明を鵜呑みにしてはいけません。ありゃうそです。基本的に、戦艦は木張り、それ以外はリノリューム張りです。もちろん鉄のままの部分もありますし、そこに滑り止めの小片を貼り付けたもの(イメージとしては、滑り止めの打ち出された鉄板)もあります。空母の飛行甲板は木張りガ基本でしたが、WWII前後からの竣工艦では、鉄板そのままや、コンクリート張りのものなどもあります。
    松型については、一応、図面資料的にはリノリュームでしたが、どうだったのでしょう?正直いって、自分的には、どちらでもいいのでは?とも考えております。
    目安としては、〜1943/1944〜で分けて作っておりますけれど。
    2に付いての、時期、内容については、確かに諸説ありますね。あたしは結論がだせません。不燃対策も、訓令でだされていたようですし、実際、実行可能な艦から順次行っていたのでしょう。また、各艦長の責任において実行されたのですから、やる、やらないの程度は割とバラバラだったのでは?ちなみに、艦内外のリノリュームを全部はがした場合、非常に滑りやすくなったのではと推察しますが、この場合、現在の護衛艦のように、通路帯には、砂入り塗料をつかったりでもしたのでしょうかね?
    Lachesis

  2.  巡洋艦から駆逐艦まで、かなりの艦船で甲板上のリノリュウムは大戦末期(というか終戦)に至るまで維持されていたのではないでしょうか?少なくとも写真からはそう見る事が出来ます。
     逆に、甲型や乙型駆逐艦の場合には「剥がした」と断定出来る写真があるのかな、とも思います。
     丁型の場合、写真そのものが少ないのですが、僅かな写真からは「張られていない」とも見えます。しかし、それが「剥がした」のか「張られていなかった」のかは判断出来ません。海防艦も、初期に建造された艦はリノリュウムを張っており、大戦後期に建造された艦は張っていないとも考えられますから、(張ってあったのかどうかは)建造時期あるいは建造場所によって変わってくるのかもしれませんね。

     不勉強でそこまで確認していないのですが、不燃化対策は訓令工事だったのでしょうか?勿論全ては無理でしょうけども、個艦毎に不燃化(&不沈化)対策の時期を追うのは結構な重労働と思います。
    tackow

  3. 末期建造の松型「椎」に乗り組まれていた方々に伺ってみたところ、「椎」に限って言えば露天甲板でのリノリウムはほとんどなかったと回答を頂きました。
    同艦は建造当初よりなかったものと思われます。
    艦内については、兵員室については同じく鉄板剥き出しであったとのこと。
    なお、申請して許可されれば、貼ってない場所でも貼ってもらえたそうです。但し申請先の詳細はわかりません。
    リノリウムの貼っている箇所は、艦ごとに異なっていました。
    また1の回答にあるように、松型の敷物の図面では艦内の重要箇所、例えば通信室だとか機関室の一部には敷物がある旨記載されていたはずです。
    みゆきよしのり

  4. わお。3名もの方にご回答いただけるとは、ありがとうございます。

    露天甲板を剥がしている写真ですが、学研「陽炎型駆逐艦」の着底した沖波(1943年12月竣工)の一番砲塔付近の写真をみると明らかに剥がしてあるように見えます。
    ただ、丸スペシャルNo111「終戦時の帝国艦艇」に載っている解体中の涼月は貼ったままのように見えます。(似たような境遇の冬月はどうだったんだろ・・?)

    指示・訓令の出された時期が分かればいいなと思ったのは、不燃化対策が軍としての方針ならば訓令以降に完成した艦は最初から貼ってないのではないか、と思ったからであります。
    もし1943年末期に出されているのならば、1944年4月に1番艦が竣工している松型はすべて貼ってないハズと思うのです。

    すでに完成していた艦については、Lachesisさんの言われるように、個艦ごとの剥がし状況を追っかけるのは難しそうですね。(そもそも露天甲板を剥がしたのかすら怪しい・・)
    SETO

  5. >4
    上記「Lachesisさんの言われるように」は「tackowさん&Lachesisさんの言われるように」です(汗)
    SETO


Back