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1840 変な質問ですが。日本の空母で赤城と飛竜だけが艦橋が左舷にありますが、艦橋から引き起こす乱流のため着艦時に具合が悪いとのことで以後右舷に艦橋が置かれる様になったとのことですが、英・米両国の場合私の知る限り全ての空母は右舷に設置してますが、計画ぐらい無かったのですか?
黒太子

  1. 赤城、飛龍の艦橋が左舷中央部にあるのは「今後の母艦は艦橋を左舷中央に置く」という航空本部の通達が存在する為ですが、左舷中央に艦橋を置く事を定めた理由は煙突と艦橋を左右に振り分ける事で格納庫の収容能力を上げられるのとの予測があった事と発艦、着艦、そして戦時に止むを得ない場合のみ行われると予想された艦首側からの逆着艦に対して邪魔にならない位置として中央部が選ばれたという経緯があります。
    その後、格納庫の収容能力に差が無い事と、中央部に置く事は発艦時の利点が少なく(中央まで下げても甲板後方から発進する艦爆艦攻にとってはやはり邪魔になるということです)、着艦に際しては大いに邪魔になるという事から蒼龍で実績のあった「右舷前方に置く」と改正されているのです。この時、逆着艦は考慮しないという事になっています。ですから気流問題よりもむしろ単純に邪魔な艦橋を何処に置くか、という問題だったと見て良いのです。
    発着に邪魔な艦橋は煙突とまとめて右舷前方に置くと定めて以降に設計された母艦はこの通達を守っています。母艦の艦橋位置問題の経緯については具体的に記した文書が残されています。
    BUN

  2.  1916年以降英海軍が実施した空母の上部構造物設置に関する風洞実験の際、単一の上部構造物を片舷に寄せて設置すれば、甲板上の気流の乱れは許容範囲で収まる、という結果が出ていますが、これは元々左舷側に艦橋を設置することで検討されています。

     左舷側でなく右舷側に設置することとなったのは、当時の航空機が装備するロータリーエンジンの特性から、着艦復航時に右に避けるより左に避けるほうが容易である、という意見が出されたため、上部構造物を右舷側に設置することとされたものです。

     英海軍はその後実地試験としてアーガスに仮設構造物を建てて一連の公試を行った後、未成のイーグルを使用した試験を実施してこの配置に問題が無いことを確認しています。英海軍は以降この配置を踏襲し、以後の計画艦においても左舷配置の艦橋が検討された事はありません。

     このデータは米仏両海軍にも引き渡された結果、レキシントン級とベアルンの改装にあたって大きな参考資料となり、この両級は右舷側に上部構造物を設置することになります。またこの両海軍においても英海軍同様に以後この配置が踏襲されており、計画等で左舷配置が検討されたことはありません(アメリカの場合レンジャー建造の際に平甲板型にするかどうかで揉めてはいますが)。

    大塚好古

  3. 書名は失念しましたが日本海軍搭乗員の方が艦橋の位置はどちらでもかまわないとおっしゃられていたのを読んだ(でもどちらかといえば右舷の方がいいかな・・・とか書いていたような)記憶があり、それなら空母という船自体バランスを考えれば英国や米国も実験的にでも左舷はどうだろうか?と建造を考えてみなかったのかと疑問に思っていました。日本の空母は搭乗員側の意見に文字どおり左右に振り回されて朝令暮改、一貫性が無くこの点でも英米に遅れているとある雑誌(これも書名失念)で批判されていました。なるほど一応英国では風洞実験をしておりしかも最初は左舷に設置するつもりだったとは・・・しかも米国はそっくり結果を参考・真似をしたというのは知りませんでした。それと日本の空母も前からの着艦も考慮していた、というのも驚きです。これも米国のヨークタウン型空母だけの話だと思ってました。そうすると実際日本空母では前から着艦する場合どうなるんでしょうか。搭乗員自身が青・赤ランプで着艦姿勢を制御しつつ降りるようですが、艦首側のもランプをつける予定だったんでしょうか?
    黒太子

  4. ソ連が1927年に計画した空母は、左舷に艦橋がありました。艦橋配置はサラトガ型によく似ていて、艦橋と煙突の前後には連装砲を背負い式に2基づつ配置しています。
    GO

  5. 上に書いた通り、艦の構造上の都合まで考えて左右を決めていますし、赤城に仮設艦橋を設置しての発着実験を行っていますので単純に「搭乗員の意見に左右された」という訳ではありません。赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳と短期間に改装と建造が行われた中で、試行錯誤があったのです。また逆着艦はあくまでも戦時に行われる可能性がある、という程度の事ですので、実施部隊では殆ど考慮される事は無く、訓練も予想もされていないようです。
    BUN

  6. わかりました。国の運命を担う軍艦ですから試行錯誤と熟考を重ねて建造するのは当然ですね。どうも私は軽く考えてたようです。
    黒太子

  7. ↑×2 便乗となります。
    新造時の加賀最上飛行甲板は艦尾から前方にかけて低く傾斜している形状をしていますが、これについて市販書では「逆着艦を考慮したもの」と記述されているのを数例見かけております。
    これは構想だけで終わった、と見るべきなのでしょうか?
    烈風天駆

  8. >7
    黎明期の空母(というか陸上機発進試験)では飛行甲板が下り坂になってるのは珍しくありません。
    少しでも加速をつけて飛ばしやすくしようと言う工夫の一環だっただけではないでしょうか?
    SUDO

  9. ↑x2さらには、赤城の場合、中央で山形になってますね。これも加賀と同様の説明がなされている本がありますね。
    もっとも、結果から聞くと、艦首方向の傾斜は滑走の助力にはほとんど寄与せず、だったそうですが。
    Lachesis

  10. 航空母艦の艦橋と煙突の位置については福井静夫「海軍艦艇史 航空母艦」の艦末に艦政本部で検討した際の議事録が収録されています。この問題に付いて艦政本部が受け身の形で関与している事がわかりますが、「航空本部の要求により」とされる肝心の航空本部の要求が具体的にどんな形のものだったかは詳しく触れられていません。これを読まれた方もいらっしゃると思いますが、そこに至る段階があるのです。
    BUN

  11. 空母一隻建造するのに絶えず物凄い勢いで進歩・大型化する飛行機に対応していかなければならないので、艦政本部と航空本部との間で色々な対立と調整があったんでしょうね。そのことを踏まえて空母の写真や図面を見ると今まで以上に興味がわきます。
    黒太子


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